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短編に光るメタ・ミステリの知的遊戯 ―『メルカトルと美袋のための殺人/木製の王子』―

『メルカトルと美袋のための殺人』
『木製の王子』 麻耶 雄嵩 (講談社ノベルス)



 『鴉』でメルカトルは気になるね、と話したら、「メル(メルカトル)ものの一部だよ」と同僚が貸してくれてからずいぶんと経ってしまった…。
 読了はわりと早かったのだが、いまひとつ読後感がまとまらないまま、いい加減お返ししないと。
 いろいろと前後するがまずは拝借モノのお片付けから(汗)。

 あまりに超人的な推理力であっという間に真相を解明してしまう自らを称して、「長編には向かない探偵」とのたまうメルカトル鮎と、ミステリ作家であるワトソン役美袋(みなぎ)のダークでコミカルなやり取りが楽しめる短編集『メルカトルと美袋のための殺人』

 知人に招待された別荘で起こる殺人事件、女性は本当に自殺だったのか?あるいは刺殺された男はどうして香水をつけ化粧を施されていたのか?
 事件がなく、退屈をもてあましたメルが出した広告を見て老人がひとりやってくる。身辺警護を願う彼の命を狙っているのはだれか?
 書けない原稿に苦しみ人気のない旅館に逃げ込んだ美袋は、一足先に来ていたメルとともに奇妙な二人の女性の死体を発見する。それはここに伝わる悲劇の犠牲となった少女の幽霊が引き起こしたのか?
 正月早々メルに呼び立てられた美袋が読まされたのは、傲岸不遜さがそのままの彼のミステリ作品。果たして美袋はその真相を言い当てて、賭けに勝つことができるのか?
 目覚めたらどこかわからない山の中に置き去りにされていた美袋。遭難寸前に助けられた別荘でその持ち主が殺される。犯人として疑われる彼をメルの鮮やかな推理は救えるのか?
 招待を受けたシベリア鉄道の列車内で起こった殺人事件。旅客機の尾翼が落下して緊急停車した偶然を使用した犯行は招待客のうちの誰に可能だったのか?

 相変わらず、状況はそれほどに不自然ではないものの、メルの登場の仕方やその強引なまでのものごとの運び方、そして読者を煙にまくような、脱力させるようなエンディングは、麻耶氏ならでは、といったところ。

 メタ・ミステリといえばよいのだろうか、アンチ・ミステリというべきか。推理の論理性は崩されることはないのだが、真相とそこから導き出される結末が、みごとにいわゆる「ロジカルなミステリの解決」を裏切っていく。
 メルの書いたミステリなどは、彼の不遜さにことよせて完全にミステリのロジックそのものをパロディ化しているし、列車内殺人事件を描く「シベリア急行西へ」もクリスティの作品のパロディといえよう。

 それらが、自身が楽しみ納得するためならば、正義も踏み潰し犯罪さえも厭わないメルの言動や動機に興味のない冷酷さと、それに振り回されて良心に苦しみながらも流されて、友人であるメルに殺意すら持つ美袋の昏い感情とに彩られて、独特の陰鬱さと諧謔をまとっているところがおもしろい。

 もう一作『木製の王子』は長編。
 『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』の続編といえるもので、あの事件(すでに前作の記憶も怪しくなっているだが…;汗)後の烏有が瑠璃と婚約、無事出版社に就職ながらも、結婚という束縛への抵抗感(マリッジ・ブルーか??)と事件の後遺症に漠然とした不安の日々を送っているところから始まる。
 後輩として入社した安城の教育担当になった烏有は、比叡山の奥に不思議な館を構え、その閉ざされた生活と家系が何かと噂される白樫家の一族で、世界的に高名な画家宗尚のところへ取材に行き、その義理の娘の惨殺死体に遭遇する。首だけがピアノの鍵盤の上に置かれ、身体は屋敷に造られてた焼却炉で焼かれるという凄惨な犯行は、明らかに内部の者の仕業と考えられた。しかし関係者すべてに分単位でのアリバイが成立している。
 果たして犯人は誰なのか、なぜ死体を切断する必要があったのか、どうやってアリバイを作り上げたのか、一族の持つ近親婚の家系図と、証としてのシンボルマークを刻んだ指輪が明らかにする歪んだ思想の結末は…?

 そのシンボルマークは、3年前の事件を解決できなかった名探偵木更津の悔いの象徴でもあった。彼は雪辱を晴らすべく、調査に動き出していた。
 出生の秘密を抱え取材を理由に館に入った安城の過去が明らかになったとき、殺人事件は驚愕の事態を迎えることになる。

 雪に閉ざされた館モノ、精緻なアリバイ、一族の持つ常識からは外れた信仰、と、いわゆるミステリ要素が満載。
 しかし分単位で一覧表を掲出してまで検証される関係者のアリバイは、あまりに細かすぎて、短気な私は読み飛ばしてしまった…。

 この偏執的ともえるアリバイの羅列こそ、アンチ・ミステリとして敢えて意図したものと思われるが、延々この検証が続くのは正直つらい…。
 再度事件に巻き込まれる烏有の優柔不断さ(性格としては前作と何ら変わりないのだが)と、安城の悶々とした様子も、事件の暗さを演出する前にイライラさせられてしまうため、事件の衝撃になかなか入りきれない。
 また物覚えの悪さから一族の名前が覚えきれず、各シーンの人物の特定にいちいち巻頭の家系図を見なければならなかったのも(自分のせいながら)集中阻害に一役買って(一番最初に覚えた女性が早々殺害されてしまったので;汗)。

 こうした「入りにくさ」も、論理を超えたアリバイの突破も、陰惨な結末も、おそらく氏の目指すところだったのだと思うし、彼らしい破壊力を持っているのは感じるのだが、外側からは解消できない、そしてその介入も求めていない「信仰」に集約させてしまうのはやっぱり「反・解決」だなーと。

 結局氏のデビュー作である『メルカトル鮎最後の事件』は未読なので、いまひとつ彼がその特徴として持っているキャラクターの設定の意図と人間相関図があいまいなまま、しかも飛び飛びの2作のため、読み取れ切れていないのかも、という不安(?)も残るが、どうしてもその実験的な「アンチ・ミステリ」の企図の方が立って、ストーリーに入り込めないそのこと自体を楽しみ切れない。

 その意味では、短編集である『メルカトルと美袋のための殺人』の方が、それぞれにバリエーションを以てその部分(メタ/アンチ・ミステリ的実験)を小気味よく味わわせてくれたか。

 メルが、じゃなくって、実は麻耶氏が「長編には向かない作家」…?
 でもメルのキャラクター、その非論理的な在り方とともに、決して嫌いではない(笑)。

 ちなみにどちらも現在は文庫で読めるようだ。


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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

非情と人情と“オチ”が絶妙の落語ミステリ ―『三人目の幽霊/七度狐/やさしい死神』―

『三人目の幽霊』
『七度狐』
『やさしい死神』 大倉 崇裕 (創元推理文庫)



 あまりの蒸し暑さを言い訳にずいぶんとご無沙汰に…。
 相変わらず未読の山も高くなる一方で、既読まで小山になって(汗)。

 順不同で少しずつ挽回。

 これまた同僚が貸してくれたミステリ・シリーズ。
 噺家の世界を舞台に、実際の落語のオチをからめた連作集。

 念願の大手出版社に入社できたものの、上司と、部下は自分だけの落語専門誌の担当に配属された新人編集者 間宮緑。
 辞令を見た瞬間に辞表を出そうかと落胆するも、異動のチャンスもあろうと、とりあえずこれまで聴いたこともなかった落語の世界を、「季刊落語」の内容を、見てみることに気持ちを入れかえる。

 上司の編集長 牧大道はこの道30年のベテラン。生来の落語好きで、その知識と感覚が培った業界での信用とネットワークの強さもさることながら、人並み外れた洞察力の鋭さで、師匠たちにも頼りにされている。

 落語のしきたりや作法、楽しみ方と業界慣例などを学びつつ、ある意味、特殊な世界に起こるさまざまな事件に巻き込まれていく緑。
 ほとんど話を聞いただけでその真相を見破ってしまう牧を名探偵(まさに安楽椅子探偵…)に、彼に振り回されつつも少しずつ落語の魅力に、その芸の深さに嵌っていく緑をワトソン役に、厳しい徒弟制度の中で己を磨く噺家たちの、芸人としてのそして人間としての喜悲劇や周囲の人間たちの思いの絡んだ事件が、落語ネタとシンクロして繰り広げられていく。

 基本的には短編、起こる事件も「日常の謎」的なもので(とはいっても落語界という特殊性は強いが)、寄席を巻き込んでのお家騒動であったり、席亭の落語界を思う一念であったり、弟子たちの師への遠慮であったり、噺家たちの家族や妻への愛情であったり、時には緑の周囲の人間の不審な行動であったりしながら、ほのぼのとした温かさやもの悲しさ、そして芸事に向かう人間の業の深さや狂気にも通じる厳しさが残る造りになっている。

 まさに落語のオチが生み出す妙味ともいえる可笑しみと切なさを持っており、それぞれに付される小噺との絡みも絶妙で、なんとなく結末が分かってしまっても、最後を楽しめるところまで「落語」モノとしてまとまっているのが憎い。
 まあ強いて言えばやや探偵役 牧の推理があまりにも抜きん出ているかな、と思わなくもないが、それが展開に適度なスピード感を与えれくれるので、「それはそれ」として楽しめる。

 2作目だけはタイトルの落語になぞらえた、名跡継承をめぐった骨肉争う落語会の場で起こる連続殺人事件の長編で、どの作品よりも血なまぐさい展開に、名を襲うことの重さや厳しさ、それを欲する執念を表した重めの物語となっているが、交通の便の悪い山間の寒村で起こる地位簒奪のための殺人事件にしてはいまひとつ陰惨さが伝わってこ来ず、やや冗長な感を残しており、切れと完成度は断然短編集である1作目と3作目がよい。

 時に仕事よりも舞台を優先し、締切も守らずに行方不明になる編集長牧に、大きな信頼を寄せながらも、(仕事に慣れてきて)ビシビシ嫌味と叱咤をかける気の強い緑のコンビ、謎の解明も落語の聴講も一瞬を逃さない洞察力が大事と、答えを迫る緑に飄々と、あるいはピシリと答えをはぐらかして引っ張りまわす牧のふたりのやり取りが、落語のリズムと相まって程よいユーモアと軽さを生む。
 さりげなく描写される浅草隆盛時代と月島へ移ってからの寄席の風景に、落語の歴史をなぞっていけるのも楽しい。

 そしてこの牧の人物造形と、落語という「芸」に一生をかける噺家たちの生きざま、物語の顛末が持つ非情と人情のバランスがとてもよい。
 人の気持ちをとても大事にする牧が、時に落語の隆盛のためには敢えてそれを踏みにじるような言動をして緑をぞっとさせるあたり、犯罪と知りながらも、己のあるいは一門の「芸」を守るために行動を起こし、一方ではどうにもならない愛に一線を超える名人たちのそれぞれのエピソードに精緻に織り込まれている。

 笑いはそれだけで成立するものではなく、人間の喜怒哀楽を深くえぐった描写であるからこそ、共感を呼び、愛され、語り継がれていく。
 寄席の舞台は「ハレ」の場、そこに「ケ」の私情が持ち込まれることは許されない。しかしながら、「ケ」の日々の積み重ねがその「ハレ」により厚みと滋味をもたらしていく。
 語り手の存在が消え、その声音としぐさに、聴き手が語られる世界そのものに入り込んでしまう名人たちの「落語」が輝くのも、そうした非情と人情の微妙で繊細な一線に立つからといえるか。

 落語ファンならばタイトルだけでもニヤリとしてしまう面白さを感じるのだろうな、とも思うが、逆によく知らなくても、挿入される「あらすじ」は、ストーリーを阻害しないスマートさでわかりやすく、この連作ミステリの魅力を増すことはあっても減じることはない。

 授業をさぼって時間つぶしにたま~に入り込んでいた寄席、それっきりで聴いた噺の記憶もおぼろ、数も増えず、系統だてて嵌る機会もないままに、すっかり遠のいていた落語を改めてきちんと聴きたくなった!





テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

もう一歩深みがあれば。官能と狂気のサスペンス・ムービー ―『私が、生きる肌』―

『私が、生きる肌』 監督 ペドロ・アルモドバル


The_Skin_I_Live_Inチラシ
 スペインの巨匠といわれるアルモドバル監督の作品。アカデミー外国語映画賞受賞作『帰郷(ボルベール)』を観た記憶はあるのだが(とてもスペイン色豊かな作品だったと…)、監督として記憶していなかった(汗)。

 ポスターの造りはいまひとつな気がしているのだが、久々のJ・ポール・ゴルチエの衣装コラボが気になった。

 天才整形外科医であるロベルは、人工皮膚の研究に没頭、その広大な邸宅を秘密の手術と研究所として、閉ざされた空間で実験を進めている。倫理違反に問われるほどの内容を持ったその実験への情熱の裏には、自分を裏切り、男と逃亡する途中の自動車事故で全身に大やけどを負い、そのショックで自殺を遂げた亡き妻を救えなかったことへの深い想いがあった。

 いま、その屋敷に軟禁され、実験の対象として、そして彼の理想を実現する存在として、亡き妻にそっくりの整形と皮膚移植を施され、究極の美しい肉体を作り上げられた女性ベラ。

 彼女はいったいどこから連れてこられ、そしてなぜその状態に置かれることになったのか。
 “完璧な肌”を持つ女の正体が、彼らの過去とともに明かされた時、ふたりの関係にもたらされた結末は――。

 ひとりの人間の愛と狂気が、天才の腕に宿ったとき、そこに発現した究極の行為を追い続けたサスペンス・ムービー。

 冷静で緻密、そして紳士なハンサム医師が、その紳士然とした沈着さで計画的に進めていく裡なる狂気を演じるのはアントニオ・バンデラス。
 スペインらしい情熱とダンディで、色気ムンムンのアクション・ヒーロー役の多い彼が、非常に抑制した演技でちょっと新鮮。

 また、みごとな肢体を惜しげもなく見せてくれ、その美しい表情で作品を輝かせるのが、ベラ役エレナ・アナヤ。
 ほとんど裸体といってよいくらいに密着した肌色のボディ・スーツで、ヨガの瞑想に入る彼女の映像は、すでにこの世界の異常さとそれでいて目をそらせない妖しい魅力を備えている。

 この館の家政婦長として、ロベルを支え、彼の研究を手助けするマリリアにベテラン マリサ・パレデスを配し、彼女の抱える過去も関わって、物語はベラの数奇な運命の衝撃とともに、危うく悲劇的な方向へと加速していく。

 ベラの人体改造の過程は、痛く、生理的に吐き気をもよおすくらいで、その映像が美しいゆえにより迫ってくるものがある。

 しかし、うーん…。
 愛と憎しみと哀しみと復讐の交差するこの危険な実験の中で、揺れ動き続けていたロベルが選択した道は、理解できなくはないものの、どこか釈然としないものが残る…。
 どう解釈をするかも、観者に委ねられてはいるのだが、振り子が振れきってしまったロベルの思考・行動がそれまでの彼の苦悩と恐ろしい行いから見るとあまりにも短絡・無謀としか見えない。最後の一線を越えた狂気の末が見えてこないのだ。
 これはもしかしてバンデラスの演技不足か……?単に私の読み取り不足か……?

 結局、人間は人間性ではなくて外見に左右される、としか受け取れない浅さに留まってしまったのが、物語がなかなかに衝撃的で複雑な心情を展開していただけに残念だった。

 とはいえ、映像美はみごと。人知れず監禁できるような洞窟まで持つスペインの古城に近代的なラボをガラス張りで作り上げているその対比、ベラの人工的な美しさと老女たちの人生を感じさせる表情、バンデラスのポーカー・フェイスの並列、そこに今回はややフェミニンなシルエットのワンピースと、バンデラスの肉体を被うビシッとしたスーツのデザインが活きている。ベラが着る花柄のワンピースが、物語の最後を結ぶ重要なファクターとなっているのも憎い。

 そして何より音楽がすばらしい。
 担当は、『裏切りのサーカス』も手掛けていたアルベルト・イグレシアス。
 オリジナルはもちろん、懐かしの作品をあるものはジャズ・サックスで、あるものはギターで、ピアノで、重厚に切なく流れるこれらは、監禁されているベガが、生きるなぐさめとするヨガの精神とルイーズ・ブルジョアの作品とともに、作品に荘重なイメージを賦与するのに大きく貢献している。(ブルジョアの作品をモチーフに使うあたり、監督のフェミニスム的な観点が透けてくる;日本では六本木ヒルズの蜘蛛の巨大な彫刻がある)

 やや物足りなさを残した巨匠アルモドバルの「問題作」。
 タイトルのとおり、「私(ベラ)が」「生きる肌」の内面が、ロベルの「揺れ」とともにもう少し強く出されたらよかったかも。
 サスペンスとしては楽しめる一作ではある。

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

ブリティッシュ・テイスト満載の極上歴史ミステリ ―『時の娘』―

『時の娘』 ジョセフィン・テイ   小泉 喜美子 訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 
 安楽椅子探偵の古典的名作が、嬉しい表紙にもどって25刷目(!)として刊行された。

 ここに使用された肖像画は、リチャード3世。
 王位を得るために甥の2王子をロンドン塔に幽閉し殺害、姪との婚姻を画策するなど、冷酷非道な行いで悪名高き王としては、このロンドン・ポートレート・ギャラリーにある模写(存命中のオリジナルは消失らしい)である有名な肖像画、あまりに静かで思慮深く、憂愁をたたえた悲しげな瞳が印象的な、上品な王族として描かれている。

 もちろん、王族を、ましてや見合い写真の代わりとして描かれたとされるものが、悪い点を強調して描かれるはずもなく、修正が施されていたとしてもおかしくはないのだが、せむしで醜悪だったために、ひねくれた性格になったとも造形されるリチャード3世のイメージとはあまりにもかけ離れた凛とした美しさを持っている。

 犯人追跡中にマンホールに落ちて足を骨折したグラント警部(けっこう間抜けな怪我だ…)は、入院中の退屈を紛らわすために、女友達の女優マータが見舞いに持ってきたこの肖像画の絵葉書に、リチャード3世の悪評とのギャップを感じ、そこから400年前の殺人事件を推理していく。
 果たしていたいけな2王子を残酷にも幽閉、殺害し、その死すら公表しなかったのは、ほんとうに叔父リチャードだったのか――?

 看護婦の持っていた子供向けの歴史教科書から、当時の大家が著した歴史書、果てはアメリカからやってきていた歴史研究生と協力して、入手できる限りの資料から、病院の天井を睨みながら、安楽椅子ならぬ、ベッド探偵グラント警部の事件追跡が始まっていく。

 のちに「バラ戦争」としてイギリス史の基本事項として載せられるヨーク家とランカスター家の王位簒奪紛争は、ほぼ30年にわたり、ヘンリー7世の代にようやく終結を見る内紛だ。
 イギリス人にとってはあたり前の史実ながら、それこそ学生時代にちょこっと触れる程度でたいていは縁遠くなってしまう日本人にとってはなかなかに人間関係が複雑でその状況が把握しにくいのも事実。ましてやそこに王位承認のための存在として枢機卿の存在まで絡んできて、かなり人間・利害関係の消化にはてこずった(汗)。
 そのあたりを配慮してか、巻頭に関連時期の血統図が記載されているのは、殊にカタカナ名にからきし弱い私にはとても助かる。何度この家系図に戻ったことか…(苦)。

 兄エドワード4世に忠誠を誓いながら、兄の死後、彼の息子たちを幽閉して殺害、自らが王位を襲ったものの、反乱が絶えず、最後にはフランスの力を頼んだヘンリー・テューダーと、味方の裏切りに遭い、戦闘中に殺されたとされるリチャード3世の生涯を、さまざまな文献や資料から行動や性格の矛盾点を抽出し、「誰が得をするのか」という犯罪の根幹ともいえる動機に立ち返ることで、幽閉と殺害の真の目的とその犯人を特定していくグラント警部の推理は、ぞくぞくずるほどにスリリングで面白い。
 ブロンド、青い目のエドワードと、黒髪、黒い瞳のリチャードの、外見の違いが周囲に与える印象として運命に影を落としていることがさりげなく描写されているのも非常に細やかな視点で、心憎い。

 過去の出来事を残された手がかりだけで組み立てていく、まさに極上の歴史ミステリだ。
 明かされる「真実」は、決して歴史上新しい事実ではない。

 しかし、その落胆も含めてこの作品が魅力的なのは、「教科書」と言われるテキストの偏向や、歴史書の冷静に見れば恥ずかしいほどの論理性のなさや、お茶の濁し方、あるいは洞察力の欠如したステレオタイプな人物評など、教育や歴史家への批判や皮肉が、グラント警部の憎めない頑固さや意地悪さというユーモアたっぷりの表現の中に軽やかに展開されているからだ。

 楽しく、気持ちよく読めるのは、決して歴史上の新説の発表でも、単なる歴史批判でもなく、「ミステリを解き明かすというのは、こういった論理的思考の積み重ねなのよ」と、そして「歴史とはこんなにもミステリとして魅力的なのよ」という、お茶目で知的な悪戯の空気があふれているからだ。
 著者の「ウフフ」と笑ってウィンクする(上品な老婦人の)姿が浮かんでくる…。

 そしてまた、名を先に知って絵を見るか、絵を見てから名を知るか――人はその先入観によって印象を180度変えてしまうことがある、という、目で見ることと、知識を得ることとの危うい関係も提示する。
 先入観に惑わされないこと、それと同時に自分の直感を信じること、このバランスが謎解きには大事な感覚であることを鮮やかに見せてくれる。

 王家の紛争、肖像画のという手がかり、幽閉・殺害という悲劇と巷の噂、とてもイギリスらしいテイスト満載。
 これからミステリを書こうという人に、これからミステリを読もうという人にも薦めたい、堅固な歴史ミステリの傑作。


テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

ホラーが導くリアル世界の痛みと不安 ―『ふちなしのかがみ』―

『ふちなしのかがみ』 辻村 深月 (角川文庫)


 梅雨明けはまだだけれど、夏向け(?)ホラー作品を。

 辻村氏で「ホラー小説」とはやや意外な感じだが、他の作品でもその要素が通底している印象はある(それほど読んでいないけれど;汗)。
 このところ、文庫化発売されるものも多い彼の作品の中から。

 「トイレの花子さん」をはじめとして、都市伝説を織り込んだ幻想恐怖譚といえそうな5話。

     トイレならぬ階段の踊り場に現れる花子さん。
     彼女に出遭ってしまったら、難を逃れるためのルールがある…。
     クラスでいじめられていたひとりの少女が花子さんと話をした。
     その夏休み、宿直で来ていた教師は、忘れ物をしたという後輩
     実習生の訪問を受け、見回りを兼ねてその忘れ物を取りに行く
     のだが――。
 “学校の怪談”に教師という大人が踏み込んだとき、ミステリ的な謎の解明と妖しが交差する「踊り場の花子さん」

     ブランコを漕ぎすぎて転落死した少女。
     クラスでも人気者として華やかに存在していたグループに入れて
     もらった彼女たちが行っていたのは、コックリさんの派生「エン
     ジェルさん」。クラスメイトや幼稚園の時の仲良しのコメントが
     造形する少女の姿と各々が抱えていた想いから見えるものは――。
 「藪の中」の手法で、どのグループに属するかで明暗が分かれる子どもたちの“社会制度”とその臨界点を、揺れるブランコの不安感に託す「ブランコをこぐ足」

     過疎化の進む寒村に住む祖母の認知症の悪化から、その家の掃除
     をすることになった孫娘が体験するおぞましく恐ろしい死体処理。
     訪れるたびに湧き出る死体を、父母も手伝いに来た彼女の元彼も、
     まるで大型ゴミを処理するかのように淡々と片づけていく。
     そこへ郵便配達人が来て、まだ処理できていない死体を見つけて
     しまった――。
 都会を離れた非日常的空間としての田舎、原因不明の死体の山、ありえない処理とそのことを忘れていく父母、姿が描かれない祖父母、成人を迎えた主人公の通過儀礼とも、パラレルワールドとも、彼女の見た白日夢ともいえそうなシュールさと、それでいて奇妙にくっきりした輪郭の現実感を持つ「おとうさん、したいがあるよ」

     ジャズ・バーで一目ぼれしたサックス奏者への想いが募り、真夜中
     にその儀式をすれば鏡の中に想い人との将来が見えるという占いを
     試した香奈子。
     彼の生い立ちを知り、自分こそそれを理解して支えられるという信
     念に憑かれた彼女は、やがてその鏡に見たものに浸食され壊れていく。
     鏡の呪縛から逃れるには、映ったものを自らの手にかけなければなら
     ない。彼女の行動がもたらした現実とは――。
 自らを映しながら現実ではない鏡の持つ妖しさから生まれた都市伝説を使い、想いを狂気へと変貌させていく女の恋慕の際限のなさを恐ろしくて哀しいミステリ的な結末に導いていく表題作「ふちなしのかがみ」

     体の弱いキョウスケといることでクラスのみそっかすである自分に
     焦りと不安を持つシンジは、級友に一目置かれたい一心で“ゆう
     ちゃん”という隣町にいる架空のスーパースターを作り上げる。
     自らの理想を形にすることに酔っていた彼だが、クラスメイトは
     嘘を見抜いていた。なお級友との距離が大きくなりかけた夏休み、
     天変地異を願っていたシンジの前に、本当に“ゆうちゃん”が現れた――。
 子どもたちがその生きる世界でポジショニングを確保するために苦闘する心理と、悲しくほろ苦くも温かい現実を、ひと夏の出来事とセミの生きざまに重ねた追想譚「八月の天変地異」

 いずれも、ホラーでありながら現実にきっちりと結びつけた骨格を持つ、ミステリ的要素とのバランスが絶妙な短編としてまとまっている。
 この微妙なスタンスの取り方がとても巧妙で、非現実的な現象ゆえに、より濃く縁どられた圧倒的な“リアル”が描かれていく。

 殊に学校という社会に生きる子どもたちを描く3作は、彼らがその中でいかに必死に自らの居場所を“より高い地位で”獲得していくことに心を砕いているかが、そのために非情で過酷な彼らの現実やルールの中で戦っているのかが、とても細やかに描かれており、痛々しく切ない世界が展開する。
 だからこそ、怪異や占い・おまじない、そして祈りが、切実な拠り所として屹立し、物語が活きてくる。

 ミステリ的な趣がより強いのは「踊り場の花子さん」「ふちなしのかがみ」。その落としどころはわりと早めに読めるものの、ホラーとしての不気味さが加味されるので、興ざめにはならない。
 また、最後にどこか救われる光を残しているという点で「八月の天変地異」が、辻村氏に対する(私の)印象にもっとも“らしい”作品だったか。

 ひときわ異彩を放っているのが「おとうさん、したいがあるよ」だ。
 次々と現れる死体やその臭気など、描かれる情景は他の作品にずば抜けて存在感と物質性を持っているのに、その世界は不条理に満ちている。まさに“シュールレアリスム”的な作品だ。
 「ブランコをこぐ足」とともに結末が、読者の想像力に大きく委ねられるぶつ切りな印象を与えるのもまた、奇妙な不安と安堵を同時にもたらしている。
 この“シュール”さのインパクトは、今後の氏の作品の方向が楽しみなところかも。

 プロットはもちろんだが、非常に細かい描写のすみずみまで組み立てられ、活かされている、作為を感じさせずに練られた5編だ。
 怪奇現象にゾッとする、というよりも、ジワジワと不安を起こさせる“怪談”。
 本当に怖くて悲しいのは、やはり怪異を見、あるいは使おうとして自らを堕としてしまう、人間の“想い”ではなかろうか。
 なかなかに楽しめる“辻村流”ホラー。こういうのはけっこう好み♪


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