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現代に生きた“江戸人”からのメッセージ ―『憩う言葉』/『粋に暮らす言葉』―

『憩う言葉』
『粋に暮らす言葉』 杉浦 日向子 (イースト・プレス)



 彼女の作品はほとんどすべて所蔵しているのだが、“粋な”装丁につい購入(笑)。
 ああ、なんておおらかで、色っぽい画だろうか。金と銀のエンボス加工も効いている。

 これは氏の生前の発表作品から「ことば」を抜粋、間にマンガからのシーンと、彼女の写真が挿入されている。
 「ことば」は1ページに一文。端的で気負わないそれらは、煩雑さと慌ただしさの現代に、一陣のさわやかでホッとする空気を送り込んでくれる。

 『憩う言葉』
  5歳も年下の妹に“敵わなかった”とあっさり兜を脱ぐ、ステキな兄の「はじめに」から始まる。
  ここだけでも何やら切なく温かい気持ちになる。

  1憩う
     ・今の大人は、真面目に命を削って遊ぶことを知らない。
     ・ちゃんとあそぶのは、ちゃんとはたらくよりむつかしい。
      あそんでいるつもりでも、多くは、あそびがしごとになっている。


  2呑む、食べる
     ・すこし呑もう、たっぷり眠ろう。明けぬ夜はないのだから。
     ・けだし、恋愛と酒は、手間をかけた方が面白い。
     ・「普通に愛したって愉しいけれど、丁寧に愛したらもっと愉しいでしょ。
      食べ物だって、そおよ」
     ・腹を満たすのではない、時を満たすのである。


  3男と女
     ・ランク付けすれば、愛は、他人に横どりされるくらいなら、
      壊してしまうタイプで、男女間に置き換えれば、最低。
      恋は、発展途上。生殖が完了すると急速に冷めてしまうので要注意。
      色は、人情の機微を知ってこそ楽しめる、卒業のない生涯学習といえる。
     ・もてようと思ったら、やせ我慢しなくちゃ(笑)。


  4しあわせな隠居
     ・抹香臭い「無一物」やら「清貧」とは、まるで違う。
      世俗の空気を離れず、「濁貧」に遊ぶのが隠居の余生だ。
     ・体にいいことはしない。それから体に悪いもの、とくにアルコールは
      積極的に取るようにしています。


  5杉浦日向子
     ・だから江戸を調べているという感覚じゃなくて、
      思い出しているっていう感じなんです。
     ・何かわからないときとか、わからないっていう状態そのものとかが、
      けっこう自分のなかでは、いちばん豊かな状態だったりするんですよね。


 『粋に暮らす言葉』
  妹は江戸に帰り、そこから遠隔操作をされているのではないか、と没後6年たった今でも新鮮に「ことば」を受け取る兄の愛情豊かな「はじめに」から始まる。
  「もっと楽に生きて」というそのメッセージに、なにやら救われる、泣きたくなる。

  1粋に暮らす
     ・まっすぐだとちょっと曲げてみる、まったいらだったらちょっと
      デコボコにしてみる、それからのっぺりしていたら穴を開けてみるという
      逆のことが風流なんです。
     ・本来の粋というのは、自分の中で熟成され、個人個人で基準が違うもの
      なので、粋のマニュアルはないんです。


  2楽に生きる
     ・なんのために生まれてきたのだろう。そんなことを詮索するほど
      人間はえらくない。三百年も生きていれば、すこしはものが解ってくるの
      だろうけれど、解らせると都合が悪いのか、天命は、百年を超えぬよう
      設定されているらしい。
     ・わたしたちはつねに右肩上がりでないといけないという幻想に
      さいなまれている。でも本来は去年と同じ年収で暮らせる社会のほうが
      幸せなんです。


  3江戸の魅力
     ・江戸は手強い。が、惚れたら地獄、だ。
     ・歌舞伎や江戸の読み本は皆そうですけど、起承転結の結がないんですよ。
      起承転転とか起承承転とか、それでおわっちゃうんですよ。
     ・江戸って、三百年の退屈なんですよ。
     ・葦は「悪し」に通ずを忌みてヨシとも読む。
      かつて一面の葦の原であった地を「吉原」と名付け「悪所」と呼ぶ。
      アシもヨシも同じこと。ままならぬのは人の業。


 もう抜粋だけで充分ではないか?

 強くてしなやかで、そして軽やかで重たい。まさにその全身全霊で「江戸」を体現してた彼女を再び、そしてこうして抜き書きされたことでより強く感じることのできる、小粋で贅沢な冊子だ。
 ときにクスリと笑い、ときにドキリとうろたえ、、そしてときにしんみりと共感し、ときにホンワリと救われる。

 苦しい時、悲しい時、泣きたいとき、笑いたいとき、ぱらりと開くだけで、豊穣な江戸の空気が肩の重さを取り除き、同時に生きることの重みも再認させる。
 
 いいじゃないか、それで。
 もうちょっと息抜きしてみようか。

 日々を真摯に、“がんばらない”、元気を与えてくれる。

 泣いても笑っても、所詮はみんな生まれた時から死に向かっている。
 だったらもう少し粋に行こうじゃないか。

 書棚にしまっておくのはもったいない。(人に教えるのももったいない;笑)
 すぐに手に取れる場所に常備したい2冊。

 なお嬉しいのが、挿絵として多く使われているのが、最も好きな作品のひとつ『百日紅』であること。
 北斎とその娘お栄を自由に描いたこの作品、殊にお栄の魅力がすばらしく、私の北斎像は実はここに拠っていたりするもの。また読みなおしたくなる。


  
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テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

脱力、爆笑。フリーダム世界への誘い -『100均フリーダム』-

『100均フリーダム』 内海 慶一 ビー・エヌ・エヌ新社


 クリスマス・プレゼントにもらう。実はとても気になっていた本(ラッキー♪)。

 アイテムもどんどん拡がり、実はちょっとした便利なアイデア商品も優れている100均ショップ。
 誰しもその世界に足を踏み入れれば、つい余計なものまで購入してしまう、なんとも不思議なファンタジーにあふれた空間…。

 これはその中でも、特にシュールな商品(小品)たちを極上のコメントで紹介したステキ本である。
 コンセプトは”フリーダム”。文字通り「自由」。

 見開き、または1ページにひとつずつ、「これはなに…?」「なんでこの形…?」「どうしてこのデザイン…?」といった、謎に満ち溢れた100円商品が、写真とほんの200字ほどのエッセイ(コメント?)つきで提示される。
 タイトルには商品名。それは実際に店でつけられていたもの、あるいは著者が名づけたものさまざまだが、思いっきり見た目”そのまま”で、まずはそのタイトルと画像に笑う。

 「黄緑色の眼のパンダ」「のっぽのコックさん」「なすびカー」「猿寿司」「瓶にサイコロ」「白熊のようなもの」「怨恨芸者」「サンタ・デ・ブードゥー人形」「ワイルド・シマウマ」などなど…。(これだけで見たくならないか?)

 たかが100円、されど100円。
 人はその安さに見合う、時には凌駕する商品ゆえに、満足をもって購入する。

 しかし、ここで紹介されているものたちは、何に役立つのかさっぱり分からない。
 あるいは、役立ったとしても奇妙なデザインや造り。たとえ「置物」というインテリアとして考えても、普通まず店で手に取ることはないだろう。
 そもそもどうしてこれが商品として店に並ぶことが許されたのか?制作者の思惑は、バイヤーの見込みは那辺にあるのか、と思うような商品ばかり。
 ボンド跡も激しいビーズで歪んだ目を付けられた人形、怨みがましい顔が怖い芸者の置物、寿司と一緒に海苔で巻かれた猿のぬいぐるみ…。

 でも、ここにこそ、100均の限りない魅力があふれていることを、著者は私たちに教えてくれる。
 その限りなきフリーダムな感性と、常識にとらわれない商品造りの”手技”の妙が、著者のセレクト眼と当意即妙なコメントによって、「究極のクリエイティブ」として目の前に現われる。

 有用性や存在意義を問うことはやめよう。
 そこに在るモノを、その「?」とともに、その脱力感とともに、”自由”な発想の無限性として、“自由”に受け入れること、これこそが、100均グッズの世界なのだ。

 とにかくひとつひとつに付されたコメントがすばらしい!
 鋭い指摘と100均商品への愛情にあふれていて、さらには、使用することば(ひらがなや漢字の使い方からワードそのものまで)のセンスも絶品。
 思わず声を出して笑いだしてしまうこと、請け合いである。(はっきり言って外で読むのはかなり危険だ)

 私の拙いことばでは、その面白さを伝えられないので、以下引用。

     「100均フリーダム宣言」より

        …
        100均フリーダム。
        それは、突飛な商品コンセプトの肯定。
        100均フリーダム。
        それは、大ざっぱなデザインの肯定。
        100均フリーダム。
        それは、細かいことを気にしない精神。
        …

     「○×ゲーム」(商品)より

        店頭でこの商品を見つけたとき、しばらく動け
        なかったことを憶えている。紙と鉛筆があれば
        できる、あの○×ゲームが、商品になっている
        のだ。パッケージの惹句も威勢がいい。「縦、
        横、斜めのうち3つ先に並べたら勝ち!」。知
        っている。誰もが知っているし、チラシの裏で
        もできる。しかしあえてそれを商品化したのだ。
        コロンブスの卵とはこのことである。「○×ゲ
        ームを商品化しよう」と発案した作者に、私は
        激しい嫉妬と羨望の念を覚える。



 もう、面白すぎてページをめくる手が止まらない。
 いずれのコメントも(商品も)甲乙つけがたいが、特に笑い転げたのが、「亀いちご」「ギョーザ&ジャム」「LOVEグラス」「英語バンダナ」など。

 目から鱗というか、価値観の転換というか、とにかく楽しい。 
 常識や美意識に捕らわれず、理屈や実用性に捕らわれず、気負わず、否定せず、固定せず。

 すべては、自身の視点を不動にせず、想像力を常に全開にしていること。
 それが、造られた“癒し”ではない、あらゆる意味でのヒーリングへと繋がっていく――。
 
 あぁ、”自由”ってこんなに格安で、ヘロへロで、ヨレヨレな、そして笑いの世界にあるのね…。
 年の瀬に凝り固まった心を洗い流し、新年を”フリーダム”な精神で迎えられるお薦めの一冊。
 百均ショップの廻り方も変わりそうだ(笑)。


 本年はこれにて。
 よいお年を! 

テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

最愛の”アマチュア写真家”の入門書 -『植田正治写真集:吹き抜ける風』-

『植田正治写真集:吹き抜ける風』 植田 正治 求龍堂


 死ぬまでに絶対に行きたいところに、「植田正治写真美術館」と鳥取砂丘がある。
 その微妙な距離と、国内なのだからいつでも行けるという油断のせいか、いまだに果たせていないのが情けないところだが、なんとなくもったいなくて後回しにしている意識もあり(笑)。

 私にとっての未見の鳥取砂丘は、公房の『砂の女』と清張の『砂の器』、そして植田正治の作品で形作られている。

 80年代バブル期に、パルコがアート関連の書籍刊行に非常に元気だったとき、何気なく足を運んだ(三鷹方面だったか…?)小さな小さなギャラリーでの個展で彼の世界にぞっこんになった。
 今や当時刊行された写真集も絶版となり、あの時無理をしてでも購入しておくべきだった後悔の2冊(後年1冊はなんとか入手)。
 オリジナルはとても手の出る価格にはなく(泣)、まあ鳥取に行けば逢えるし…と自らを慰めていたが、このところ人気復興なのか、エッセイから写真集までが改めて刊行されているのは嬉しい限り。

 「UEDAグレー」を使用した初の写真集ということで(価格も手ごろ)、久しぶりにぞくぞくする「UEDAワールド」に浸ろうかと。

 表紙は彼の作品と一見できるものの、個人的にはショッキングピンクのタイトルのセンスには同意できず。なぜこの色なんだろか…。確かにグレーにピンクは映えるのだが、これは大きさといい、配置といい、そして副題の雰囲気との齟齬といい、ちょっとね…。

 内容は作品を多く所蔵している植田正治写真美術館と、東京都写真美術館の学芸員、調査員の短い論文(エッセイというべきか)と、お孫さんにあたる事務所代表の祖父の想いでを語るやさしい文章とともに、時代順に主たる彼の代表作が集められている。
 処々に植田氏本人の”ひとこと”がちりばめられ、作品の持つ雰囲気を補強/裏切る彼の写真に対する限りない愛情と、人となりを感じられるように意図した体裁。

 有名な砂丘に人物をてんてんとちりばめた≪妻のいる砂丘風景≫や≪少女四態≫、自然界の物体や身の周りのモノ(帽子や蝙蝠傘)を不思議な配置で撮った≪小さい漂流者≫や≪ヒトデのある風景≫、≪コンポジション≫など、いずれも懐かしくまたその世界にどっぷり嵌る。

 構図は非常に人為的で作為的で、計算されつくした美しさなのに、なぜかその空気は肩に力の入らない自然態として観るものに訴えてくる。ふとした子どもの動きも、そのアングルも、あまりにみごとな構成に収まっており、その絶妙さと心地よさ感嘆するも、その”作為”に意識が引っ張られることがない。

 あるものはマグリットの不可思議さに、あるものはマン・レイのアヴァンギャルドに、そしてあるものはイヴ・タンギーの夢のような世界に通じつつも、昭和の日本の詩情を湛え、まさに”シュール”を根底にしながら、独特のユーモアと哀楽と清涼感をもった「UEDAワールド」。

 ここでは、子どもも大人も、砂丘に流れ着いたと思しき漂流物も、すべてが”等価(オブジェ)”になる。
 その一種突き放したようなクールな視点と、しかしそれらを”撮る”ことそのものへの喜びや幸せの感情とが拮抗して、他にはないリアリズムと抒情性を発する。
 生硬さと柔軟性、冷たさと温かさ、理性と感情、この一見対立しそうな要素が、全く自然に存在しているところに、彼の作品の魅力があるのだろう。

 この魅力は晩年のカラー作品でも失われることがない。風景や人物には柔らかいソフトフォーカスを、そして物体にはよりくっきりとした輪郭線を与えさらにまたよりシュールレアリスティックに構成、その両者は対照的であるのに、もたらされる印象は、クールな目線とそのクールさを通して生まれる詩的なエッセンスだ。

 いずれの作品も(凝った構図であるのに)饒舌ではなく、静かでやさしく、そして濃くて強い。
 そこには「生涯アマチュア写真家です」と言い切った彼の自負と、写真への強い愛が横たわっている。

 私は彼の活動の軌跡や、写真界での影響やポジショニングなどの詳細を把握しているわけではない。なぜか彼についてはあまり知りたいという欲求が生まれなかった。

 その作品だけでいい―――。
 生涯故郷の砂丘と家族を愛し、そこで触れ合う人やモノを愛し、そして何よりも写真を撮ることを愛して、楽しみ続け、その楽しみに関わる写真界の人間たちとの交流も、すべては彼の作品が語ってくれる。
 そこには、悲哀も、怒りも、ノスタルジーも、誇りも、気概も、挑戦も、茶目っけも、皮肉も、詩情も、すべてが雄弁に響いてくる。
 この世界に入ると戻ってきたくなくなる至福の時空。最愛の、といっても過言ではない写真家。
 
 …残念なのがその印刷。
 モノクロ作品の陰影が(特に初期の)いまふたつくらい反映されず、ややベタっとした感じになっているのが、「UEDAグレー」を謳う割にはお粗末かな、と…。
 まあこれは、価格を考えれば仕方のないことかもしれないが。
 展覧会のカタログとして、あるいは「植田正治」というカメラマンの作品概要と、その活動歴を知るによい一冊だろう。

 あー、やっぱり鳥取、行かないと!


テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

やられた…!新潮の策略 -『新潮文庫 2010年スペシャルカバー版』-

『新潮文庫 2010年スペシャルカバー(全10冊)』 2010新潮文庫の100冊


 自身の読書はやや(かなり)停滞なのだが、世間はすっかり夏のフェア中…。
 おなじみ「Yonda?Panda」がカラフルにかわいらしく店頭を飾る新潮のコーナーで、すっかり魅せられたスペシャルカバーの10冊。

 とてもシンプルなモノトーンデザインでありながら、そのセレクトと配色、そして同色の帯に入るイラストとタイトルのインクの入り方が凝っている。

 作品のセレクトは、いわゆる”名作”。学生の夏休み読書感想文によいだろうと思われる、ある意味新潮文庫でも見慣れて流してしまうようなものばかり。
 かくいう私も『夏の庭』(湯本香樹美)、『橋ものがたり』(藤沢周平…もしかしたら読んでいるかも…)、『雪国』(川端康成…あまりに冒頭ばかりを先に覚えてしまうのでなんとなく読んだ気になっていまだ手つかず…(苦))、『老人と海』(ヘミングウェイ…スペンサー・トレイシー主演の映画を観てこれまた読んだ気に…(汗))のほかはすでに書棚の奥のどこかに眠っているもの。

 しかしあまりのカバーの洒落っ気にほだされ、そのためだけについ手が…。初めはいくつかに絞ろうとコーナーをうろうろしていたものの、どれも内容とカバーの色の合わせが絶妙で、”え、選べない”…。しかも中身を変える必要はないため、いずれも驚くほどお手頃価格。

 ああ、これは新潮、うますぎるっ!!
 まんまと策略に嵌る自分に腹立たしささえ抱えながらも、これらが書棚に並ぶことを想像するともうダメ…、結局全巻買い上げの暴挙に出てしまった。。。

     『金閣寺』がゴールド×赤字タイトル。
     あまりにベタだけれど、ラストの炎に包まれる情景を思い浮かべたら
     この豪華絢爛さと、金色が持つ妖しい暗さがみごとにぴったり。

     『雪国』がシルバー。
     「トンネルを抜けると…」そこはまさに銀世界。かの地で展開される
     恋物語の情熱と哀しさをその冷たい光が暗示する。

     『江戸川乱歩傑作選』の黒。
     やはり乱歩は黒!そして毒々しいまでの赤字の組み合わせが作品の怪
     しさをそのままで体現している。ステキ。
     (すでに函入り全集を持っているが、選の構成もたしかに憎いところ
     を持ってきている)

     『こころ』の白。
     「私」の罪と「K」の清廉の象徴。裏切り、そして身悶えするような後
     悔と悲しみの解告の物語にこれほど合う色はないかもしれない。

     『人間失格』はショッキングピンク。
     「私は人間が怖かった…」対人への怯懦から自分を偽り、人を欺いて、
     やがて社会から脱落していく男の物語に、ここまで対照的なイメージ
     カラーを持ってくるセンス。

     『羅生門・鼻』のちょっとレトロな黄土色とそのイラスト。
     海外向けの装丁のような洒脱さが、彼の傑作とユーモアあふれる短編に
     モダンさを付加する。

     『橋ものがたり』が鮮やかな水色。
     江戸の人情とその景色を瑞々しい文体で描く彼の作品には、ふと日本橋
     の往来で見上げる空を思わせるこの色が相応しい気がする。

     『キッチン』の赤。
     日常の自然な、そして不思議な感覚を、とても映像的に描き出していく、
     肩に力の入らない、静かで哀しさを湛えた文体を、強いて激しささえ思
     わせるこのカラーで包む対比の妙。

     『夏の庭』は緑。
     そのタイトルからも、主人公が少年たちであることからも、草いきれが
     感じられそうな濃いグリーンが、そのまま作品世界を喚起する。

     『老人と海』はレモンイエロー。
     セレクション唯一の翻訳ものは、まぶしいくらいのイエローが、最後の
     命の炎を燃やした老人の闘いと、残された満足と皮肉な哀しさとを鮮烈
     に思わせる。


 鑑賞本ではないのだけれど(笑)、並べて嬉しい、観て幸せなこの夏の10冊。(未読モノはこの機会になんとか…(汗))

 しかし今後毎年この調子でやられるのか…?
 そのセレクトとデザインが楽しみながら、重複と入りきらない書棚の行く末がかなり恐ろしい…。


Kinkaku-jiYukiguniRampo-SelectionKokoroNingen-Shikkaku
Rasyou-monHashi-MonogatariKitchenNatsu-no-NiwaThe_Old_Man_and_The_Sea

テーマ : ブックカバー
ジャンル : 本・雑誌

描かれた“顔”との多様な対話 ―『顔 (ナショナル・ギャラリー・ポケット・ガイド)』―

『顔 (ナショナル・ギャラリー・ポケット・ガイド)』 アレグザンダー スタージス 田中 純 監訳/小澤 京子 訳(ありな書房


 アカデミックな西洋絵画の流れを観るには質・量ともに「教科書」のようなロンドン、ナショナル・ギャラリー。
 企画展を除いて入場料は無料(!)、展示される各時代、各作家の代表作は、あまりにも無造作に並んでいて、却ってその価値が分からなくなるほど。夢のような空間である。

 かつて数日の滞在に大英博物館をあきらめてここに訪れた時には、わずか半日で途中から頭の中に作品が入りきらなくなった…。
 翌日にテートおよびテートモダンに行ったせいもあり、ナショナル・ギャラリーで出遭った作品たちは記憶の混乱を伴っている…。

 このたびありな書房から、現地で刊行されているハンディなガイドブックが翻訳され、シリーズ化されている。
 通常より縦長で細身、とても薄い体裁は、集めるだけでも幸せな気分になるスタイリッシュなもの。(ややお高めだけれど…)
 単なる作品/作家紹介や美術史的な流れではなく、コレクションをいくつかの特徴的なテーマで切り取り、横断的にピックアップすることで、より多角的、立体的な「観方」を提示してくれる。さすがはナショナル・ギャラリー、と思わせる企画だ。

 おそらくは美術館を巡りながら読める分量で考えられているため、文章はそれほど多くないし、その記述も断片的な印象がある。このため、既存の西洋美術史の流れや、知識がある程度素地としてあった方がその記述の内容は分かりやすい。
 これは翻訳がきちんとしていないととんでもなく散文的で、つまらいものになりそう。以後の刊行にも頑張ってほしいところだ。
巻末にさらに知識を深めるための参考文献が列挙されているのもそのあたりを考慮してのことだろう。

 とはいえ、所蔵作品の画像がその部分拡大も含めてふんだんに使用され、各テーマに沿った画集として楽しめる、薄いながらも豪華な体裁になっている。
 
 全部で10テーマの刊行を予定、うち既刊の「天使」「顔」「絵画の保存」「聖人」から、一冊。

 宗教画、肖像画を主軸に、風俗画に至るまで、描かれた人々、あるいは聖人の「顔」の表現から、画家は何を目指したのか、あるいはその時代に作品を観ていた人々は何を求めていたのか、そして現在それらの作品に向かい合う私たちは何を読みとることができるのか、描く側の意図、その時代が要請していたもの、観者の主観や心理の影響、作品の持つ美と理想、聖性と現実のコードといった多様な側面から解読していく”鍵”を提示する。

 表情の少ない初期キリスト教の群像がその違いを現すのは、肌や髪の色やその衣装、持ち物(トリビュート)であり、その顔の類似性は聖性を現すひとつのコードとしても捉えられる。
 やがて画家はそうした人々の表情に個性を与え、あるいは感情の発露を顕わしていく。そこでは一方でその作家の作品と一目観て分かる描き方の共通した肖像画の数々が、それでも異なる対象を描いていると私たちが認識する差異をどこに創造しているのか、一方で非常に個性的な人物の特徴を捉えた肖像画が、その”肖像画であるということ”に求められていた”理想”の要素とどのように融合しているのか、など顔/表情の読みとり方について、さまざまな視点を提供する。
 さらには感情の発露を表す表情の作り方、そこに観者が受け取る”悲しみ”/”怒り”といった印象の要素がどのように画家たちによって模索されてきたか、その顔が描かれている情景との関係や、わざと曖昧な表情にとどめることで、より多義的な意味合いを持たせる手法などを、ある作品では、全体に対する対象の配置やアングル、対象そのものが持つ印象といったマクロな観点から、またある作品では、目元や口元の描き方のようなミクロな視点から、多様なアプローチの可能性を示唆している。

 ともすると、描かれているテーマを消化し、その時代の”名作”と言われている作品を”観た”ことに満足して終わりがちなこうした絵画鑑賞に、ちょっと立ち止まって、一つひとつの作品をじっくり観る、もうひとつの豊かな楽しみ方を開示する。

 私たち人間にとって最も身近な“顔”。
 美醜、聖俗、喜怒哀楽の印象にとどまらず、画家の意図、当時の要求、我々の先入観、そうした要素をちょっと意識しただけで、それらの表情はもっと奥深い作品へのアプローチの可能性を啓く。
 日本人には分かりにくい宗教画の聖人たちも、あるいは過去の貴族や無名の町人の肖像画も、風景のひとつとして漫然と観ることの多い風俗画に描かれる人々も、それぞれが新たな魅力を持って、改めて我々に迫ってくる。
  
 もう一度ナショナル・ギャラリーを訪ね、数日をかけて観てみたくなる、そしてそこにとどまらず、各地の美術館が持つコレクションでも試してみたくなる、手軽ながら知的刺激に満ちた鑑賞ガイド。


テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

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