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キャラクターの妙、新”皿屋敷” ―『数えずの井戸』―

『数えずの井戸』 京極 夏彦 (中央公論新社)


 久々、京極氏のシリーズものの新刊。江戸の口承、怪談をテーマにオリジナルの小説に仕立てる第3弾。(でも”本編”(京極堂もの)じゃない…)

 今回は「番町皿屋敷」。タイトルがまたにくい。
 ”小幡小平次”(『覗き小平次』)は渋め、”四谷怪談”(『嗤う伊右衛門』)は「お岩」は知られていても、その筋をすべて知っている人は実はそれほど多くなかったように思うが、皿屋敷は、子供でも知っている有名どころだろう。

 どんな筋書きを用意してくれたのか、小股潜りの又市たちの狂言廻しぶりは…。
 読みかけの本をひとまずおいて最優先(笑)。

 人々の口に膾炙される番町の皿屋敷の怪は、井戸から女の声で皿を数える声がするという。その女の名前は菊。誰が見たとも明らかではないのに、誰ともなく語られるこの怪談は、その理由にさまざまな憶測を呼ぶ。しかし真相を知る者はいない。なぜなら関係者はきっかけと思われるある事件の時にことごとく死んでるのだ。いったい当時、この屋敷で何が起きたのか―――。

 京極狂言の幕開けである。

 旗本青山家は、人柄も器も評判の高かった当主が身罷り、若さまの播磨が家督を相続する。なに不自由なくそして優等生に育った播磨だが、内に大きな欠落を抱えていた。いつも何かが足りない、何が欠けているのか分からない、しかし満ちていない…。そのためか、出世に対しても、遊びに対しても、女に対しても、お家の存続に対しても、ましてや生きることに対しても、死ぬことに対しても何の興味も意欲も沸かず、内なる穴を見つめながら日々を過ごしている。
 庭に見つけた使われていない井戸、その底知れぬ暗闇に己の欠落を投影することが、唯一欠落を欠落として感じられるようになっていた。

 一方町娘として成長した菊は、物ごとを整理して考える、それを切り分けて行動することができず、考えすぎて動けない不器用な性分から、どこに奉公しても上手くいかない。そんな自分を「莫迦」と思い、すべては己がせいにすることで、周りが収まるのならばそれをよしとする、外見からは愚鈍と思えるような天然無垢な”おぼこ”である。本人は自覚しないものの、人より美しく生まれたために、仕えた家の主から邪な想いをかけられ、それが余計に家内に騒動を呼び起こす。
 今のままでよい、いまの状態が続けばよい、先も読まず(読めず)、自らを変えることも望まない、何も欲しない、不足を感じることを知らない彼女はまだ己に降りかかる運命を知らない。

 この二人の対極的ながら、無風の心性を主軸に、青山家の復興のために伯母が持ちこむ婚礼話が具体化しそうになった時、家宝の皿をめぐり、花嫁候補の次期若年寄と噂の高い大久保家の姫綺羅、播磨の悪い遊び仲間だった主膳、青山家のお側用人十太夫、菊の幼友達三平、これに青山家の中間奴、腰元といった人間関係が絡み、御家人没落の必然が孕んだ不穏な空気を濃くしていき、ある意味では馬鹿馬鹿しく、滑稽ともいえる成り行きの惨劇へと繋がっていく。

 通底しているのは、「数える」こと。そして数えることによって見えてしまう限界や欠落。まさに“皿”の「欠け」と人の”こころ”の「欠け」を絶妙にオーバーラップさせ、”使わずの井戸”の穴の暗黒に戻していく手腕は相変わらず見事。

 さらに各々のキャラクターの設定が素晴らしい。

    根底では似た者同士ともいえる播磨と菊の「欠けている」ことと、
    「満ちている」こと。

    表に出てくる在り方は似ているのに、根本的な発露が異なる播磨と
    主膳の「無為」。

    気性は対照的なのに、「褒められたい」十太夫と、「手に入れたい」
    綺羅の「欲望」の強さ。

    自らの「強欲」を自覚し、入手するためには行動をいとわない綺羅と、
    「無欲」で、自分が引くことで周りを収めようとする菊の「対極」。

    傾きかけた青山家と何もしない”ボンクラ”当主にいらつき、それ
    ならばと「破局」を望む無頼奴と、当主に分不相応な想いを寄せ、
    「お家のため」とでしゃばり、破局を招く腰元の「下賤」と「皮肉」。

    共に日々の中に停滞して生きていたのに、”結婚”をきっかけに自意
    識に目覚める三平と、環境が変わっても目覚めようとしない菊の「分
    岐」。
 
 さまざまな共通項と対立項の精妙な組合せの中で、各自がおのおのの勝手を通し、他を省みない行動の断片が、「青山家」にそして「皿」へと集約していく時、亀裂は耐えきれず粉々に砕け、大悲劇を引き起こし、井戸はその暗黒に星を映してそれらを飲み込んでいく…。このカタストロフへの導き方は、まるでタランティーノのシナリオを思わせる。

 実に人間心理を精妙に織り込んであり、それぞれの虚しさ、怯え、焦り、困惑、悔しさ、苛立ち、腹立ち、怒り、妬み、嫉み、憎しみ、悲しみ、後悔、後ろめたさ、劣等感、罪悪感など、ありとあらゆる“負”の感情が膨らんで結末へ向かう。

 いずれもドキリとするような思い当たる心理・性向でありながら、同時にイライラ、ハラハラさせられる、この二律背反の描写力は悔しいほど。特に危ない、あるいは下賤な人間を描かせたらどうしてここまで上手いのか。主膳の壊れぶりと、中元奴権六の卑怯ぶりは秀逸である。楽しんで描いているのではないかと思えるくらい活き活きしている。これがまたイライラさせられるから腹立たしい(笑)。(この辺は前作『厭な小説』でも実感できる)
 
 シリーズの中でもプロットの堅固さは本作が最高。そしてストーリーとしての完成度も個人的にはいち押しである。(『嗤う伊右衛門』はちょっとラブストーリー色が強すぎた、『覗き小平次』は“見る“をテーマにした点は面白かったが、ちょっと未整理な印象が…)

 小見出しも凝っており、それぞれの登場人物に対して、「数え」と「数えず」のテーマを付し、これを交互に配したところなど、思わずうなってしまう。
 リズムのよい、ここちよい文体と文字使いもますます冴えている。ただ、やや繰り返しが多く(わざとそうしていることは充分承知の上で)、私としてはそこがくどく感じられ、もう少しシンプルでもいいかな、と。
 北斎の挿絵、その組版もさすが本家、かっこいい。

 「数えるから足りなくなる」―――お得意の思考の逆転による”見方”の”うらがえし”で、もうひとつの『皿屋敷』は新たな怪談(ものがたり)としてその位置を確立した。
 なぜこんな惨劇になったのか、そして誰が菊を殺したのか…。ここはぜひ読んで見極めてほしい。

 ああ、やっぱり京極ワールドはよい。
 なおさら”本編”の新作が待ち遠しいものだ。


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