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繊細と大胆が生んだ国宝 ―『特別展 長谷川等伯』―

『没後400年 特別展 長谷川等伯』 (東京国立博物館 平成館)

Tohakuチラシ
 国内に現存する主要な作品がほぼ一堂に会する最大規模の等伯展。

 かつて≪松林図屏風≫の前で、その幽妙な空間に包まれ至福の時を過ごした感動を改めて感じたく、上野へ。

 安土・桃山時代に狩野永徳と並び京都で活躍するも、たくさんの後継を輩出した狩野派とは異なり、その一派を築くことなくほぼ一代で終わってしまった彼の生涯を、実はあまりよく知らない。新しいパトロンとしての徳川に仕え、もうひと花咲かせようと下ったところで生涯を終えたことくらい。
 
 今回の展覧会では、上洛する以前の東北での彼の作品も含め、画業全体を見渡せる規模と構成になっているのが嬉しい。

 第1章。
 入ってまず目にしたのが仏絵。なんとなく水墨の風景のイメージが強い等伯だったため、≪十二天像≫や≪鬼子母神十羅刹女像≫といったカラフルな神仏像からのスタートは意外だった。

 この≪十二天像≫が面白い。
 保存状態よく、色も美しさを失っておらず、その配色と着物の襞やそれぞれの神仏の持つアイテムのバランスがとてもよい。水墨画の濃淡が生む陰影とは逆に、やや生硬ながら平面構成が素晴らしく、デザイン画を観ているような楽しさがある。≪日蓮上人像≫は、着物の文様から、台座の意匠まできらびやかに細やかに描かれているし、その集大成ともいえる≪仏涅槃図≫に至っては、色合いは華やか、配置もリズミカルで、描かれている群衆、動物たちが一人ひとり、一つひとつ活き活きしていて、観飽きることがない。沙羅双樹の葉の一枚一枚に至るまで、等伯の緻密さを見せられて非常に興味深い。

 信心に篤い画家だったらしく、その後も日蓮宗の高僧像や、教義に関わる宗教画が多く展示されているが、この1章にある、まだ”等伯”となっていない「信治」時代の作品は(最初に観たこともあるが)印象に残る。
 特に小品ながら≪善女龍王像≫は、その龍の立ち上り方といい、善女のたたずまいといい、絶妙な配置と構図で、持ち帰りたい一品。

 第2章。
 上洛後、「等伯」を名乗り出したころの作品では、≪恵比寿大黒・花鳥図≫の3幅、≪海棠に雀図≫が、その花鳥の描写力と、構図の妙、そしてチラリと垣間見えるさりげないユーモアで、お気に入り。
 重文≪牧場図屏風≫では、乗馬する人々の風まで感じそうな臨場感と、毛並み多彩な群馬の姿態を楽しめる。≪山水図襖≫は、金地全面に配された鮮やかな葵文様の中から浮かび上がる山水図が、まるでからくり絵を観ているような不思議さを演出する。

 大胆な筆遣いの堂々たる≪達磨図≫、力強い筆の線がどっしりとした存在感を生みだす≪芦葉達磨図≫は、それまでの繊細なタッチとは大いに異なり、水墨画に通じていく彼の筆さばきをうかがわせる。

 第3章。
 等伯に関わる肖像画では、≪武田信玄像≫や≪千利休像≫など、改めて彼が戦国時代に生き、その時代の権力者たち、文化人たちと交流を持っていたことを実感。また、黒には黒の、色には色の、濃淡と配色の使い分けを比較できて、彼の多才を再認する。

 第4章。
 タイトル通り「桃山謳歌」!
 大ぶりの金碧屏風・壁画がならぶ空間は、まさに”桃山ゴージャス”。そこに乱舞する墨黒と色彩は、経年の褪色をもってしても、眼もくらむきらびやかさである。完成当時はさぞかしまばゆいことだったろうと。

 特に≪楓図壁貼付≫はすばらしい!(さすが国宝)
 朱、緑、やや桃がかったオレンジといった楓が、あるところでは鮮やかに発色し、あるところではくすみを持ってちりばめられている美しさには言葉を失う。そして中央やや左よりにぽっかりと描かれる池(?)の濃紺が、強いアクセントを持ち、植物の繁茂する右壁から、左壁へ向かって開いていく金地のバランスを支えている。うーん、なんて心地よい構成。

 その流れるような空間づくりとは対象的に、≪柳橋水車図屏風≫では、右下から左上に大胆に架かる金色の橋の両端に配置された柳の枝が、ひと枝ごとに丸い塊を作って、ポコポコとリズムを刻む。一見無造作に描かれた黒い半月の置き方も含め、この意匠的な作品も遊びがあってよい。
 さらにまた全く雰囲気の異なる≪波濤図≫は、全面黄金色の中に、墨一色、荒々しいタッチで岩と波が描かれた、渋さと豪華さを併せ持つ豪放な大作で、思わずその波濤に飲み込まれそうな感覚に陥る。

 第5章。
 今回の目玉の一つである巨大な≪仏涅槃図≫へ。

 とにかくその大きさに驚嘆である。構図はほぼ第1章で観たそれと同じで、違いは来迎図が省かれていることくらいだが、とにかく圧倒される。仏陀を囲み嘆く人々の様子も個々に描き分けてあり、大きさはその緻密さに全く影響を及ぼしていないことがわかる。よく見ると動物の配置が微妙に異なっている。どんな動物が描かれているか、どこが違っているかを比べていても楽しく時間が過ぎていく。

 この章ではどれほど彼が日蓮宗と関係が深かったのかをうかがえる書簡なども展示されており、研究者にとってはこれもまた貴重な史料だろうと。

 第6章、いよいよ水墨の世界。
 中国の故事に基づく作品と山水画の展示。金地に墨の濃淡だけで描かれるそれらは、彼の関心が”墨”による表現の多様さに移っていったことを感じさせる。

 中国の詩人・知識人が愛した蓮、菊、梅、蘭をテーマにした≪四愛図屏風≫は、その知識人たちと関わる花の扱い方に茶目っ気があって(蓮などよく探さないと分からなかったり)、思わずニヤッとしてしまう。
 ≪山水図襖≫の作品たちは、まさに墨の濃淡が襖に奥行きを実現しており、金の鈍い光の中に浮かび上がる風景は不思議な世界を造り出す。≪松林図屏風≫への試行をうかがわせる2点。
 久しぶりの≪枯木猿猴図屏風≫は、いつ観てもユニークで愛らしい”おさる”。その体毛の描き方と、樹木や枝葉のタッチの差異が、より効果的に猿猴の存在を浮き立たせている。

 この章でもっとも感動したのは≪竹鶴図屏風≫。
 霧が見える、空気が流れる。一方ではうずくまる鶴の鼓動が聴こえ、一方ではしっかりした足で立ち首を伸ばす鶴の鳴き声が聞こえる。ささやかな風に舞い散る笹の葉がさらさらと音をたてる…。
 思いっきり近づいて左双端の地面を見れば、抽象絵画のごとく、筆でおかれた墨の”てんてん”であり、”ばってん”である。それなのに、笹の葉がその霧の奥まで続いているのが感じられる。右双の無地空間の奥には湿地が広がる。…ほぅ…見事。

 ≪松に鴉・柳に白鷺図屏風≫、≪竹林猿猴図屏風≫、≪烏鷺図屏風≫が、後期の出展で観られなかったのが残念…。チェックして行かなかった自分の迂闊さが悔しい!(会期短いし…)

 最終章7章。
 国宝≪松林図屏風≫との再会。
 こちらでは個人蔵でなかなか観られない別バージョンの≪月夜松竹図屏風≫も呼びもののひとつだ。月夜の風景も趣が異なっていて、同時に観られたのはよかったが、やはり≪松林図屏風≫の完成度には及ばない。
 ただ、以前の感動がよほど大きかったせいか、その時の展示空間がよかったのか、期待が大きすぎたのか、思っていたよりも今回は作品が小さく感じられ、ガラスの奥にあって、入り込んでしまいそうな、包まれるような空間の拡がりという印象はやや減少していた。それでもその幽妙さは抜群だけれど。

 最後にもう一点、≪檜原図屏風≫が、画面中央に檜原の水墨を配し、左右の空間におおらかな筆遣いで和歌を書き込んであり、文字もデザインとして活かす日本の書の伝統を美しく体現した作品として心に残る。
 
 史上最大級の回顧展、実感したのは、大胆にして緻密、繊細にして豪放な等伯の才と、高度な色彩・デザイン感覚、そしてそれを実現する縦横無尽な筆さばきのテクニック。

 思いっきり等伯を満喫したら、ライバル永徳の作品を改めて観たくなった。
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