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視覚とイメージの豊穣な戯れ -『20世紀のポスター[タイポグラフィー]展』-

『20世紀のポスター[タイポグラフィー] デザインのちから・文字のちから 展』(東京都庭園美術館)

Typographic_Postersチラシ
 印刷技術の発達と都市ブルジョアジーの台頭から生まれた消費社会の重要な伝達手段として発達してきたポスター。
その訴求効果は消費文化にとどまらず、20世紀の政治のプロパガンダにも重要視されていく。
 21世紀に入った今でも、その技術や表現手法は大きな変化を遂げながらも、ますます大衆へ訴える“メディア”として、進化し続けるタイポグラフィー。

 そのタイポグラフィーの誕生から発達、そして現在まで流れてきた100年間を、世界各国のポスターというメディウムで観ていく、ちょっとバブル期に多く開催された展覧会を思いださせる、久しぶりな感のある企画。
 ちょうどタイポグラフィーの国際的な規格化と時を同じくする時代のアール・デコデザインの朝香宮邸で行われるのも嬉しい。

 展覧会タイトル通り、20世紀を時系列に、4つのセクションに分けて、そのタイポグラフィーとデザインの関係の変遷を見ていく構成。

 第1部:読む文字から見る文字へ:タイポグラフィの革新(1900-30年代)

Typographic_Posters_1 入ってまず目に入るのが、カッサンドルの≪デュポネ≫(記載は≪キナ入り食前酒デュボネ≫)。
 飲み過ぎて顔がだんだんと赤くなっていく連続ポスターも造られたこのシリーズは、彼の作品の中でも特にお気に入りの1点。明確な製品名とイラストがユーモラスに商品の魅力を最大に引き出している、イラストとフォントが共鳴する、今でも充分にインパクトあるデザインだ。
Typographic_Posters_2 ここでは、ウィーン分離派、ドイツ工作連盟、ロシア・アヴァンギャルド、シュルレアリスムなどの芸術家たちによる作品が並ぶ。

 美術展はもとより、産業展の告知、戦時公債募集、商品広告などは、まだ石版時代の面影を残しつつ、文字を構成の主たる要素として配置していった過程が観られる。
 個人的にはこの時代のものが、どこか洗練されきらない(笑)“手づくり感”があって好きだ。やはりドイツ系の作家たちの作品は群を抜いてよい。
 ヴァルター・ケッヒの≪装飾のない形態展≫、テオ・バルマーの≪バーゼル国際事務用品用品展≫が、まさに“文字”をデザインしており、この時代としては特に先進的なセンスを感じさせる。
 
 第2部:タイポグラフィの国際化:モダンデザインの展開と商業広告の拡大(1940?50年代)

 ヨーロッパではナチスの台頭により、アヴァンギャルドな試みはことごとく排され、作家たちはスイスやアメリカへと流れていく。こうして戦中から戦後、ますますポスターの重要性は世界に広がり、大戦後の復興期に入って商業広告が拡大、グラフィック・デザインは、社会的にも職業としての位置を獲得しつつ、スイスから「国際様式」が確立していった時代。

 社会的公共広告から、企業・製品広告の幅も拡がり、よりグラフィカルに洗練されていく。「サンセリフ体」(日本でいうゴシック体)により、シンプルで、禁欲的ながら大胆な構成が生まれてくる。この“洗練”は今でも刺激的で、ワクワクさせられる。
Typographic_Posters_3 ジョヴァンニ・ヴィントーリの≪オリベッティ社≫のものは、イタリアらしいカラフルさで文字と戯れ、眼が自然にタイポグラフィを追っていく楽しさを与える。同じくマックス・フーバーの≪モンツァ・グランプリ≫は、観た瞬間にレースを思わせる文字の処理が憎らしいほど。

 2部でのお気に入りは、オトル・アイヒャーのウルム市民大学木曜講座の告知ポスターの2点。≪学問に映し出されたオカルティズム≫と≪造形芸術におけるファンタジーとグロテスク≫は、その講座タイトルも魅力的(笑)で興味深いのだが、タイトルを読まなくても、色と線と文字だけの最低要素のデザインが怪しげな(?)講座の雰囲気を充分に伝えている。これは部屋に飾りたいセット♪

Typographic_Posters_4 そしてみごとに視覚的に一体化された作品がエミル・ルーダー≪グーテ・フォルム(良き形態)展≫ポスター。うっとりするほど美しい湾曲した円形のフォルムが、そのまま“良き形態”。これもまた部屋に飾りたい一品。

Typographic_Posters_5 さらに音を視覚化したみごとな作品がヨーゼフ・ミュラー=ブロックマンの「演奏会告知」の2枚。禁欲的で、それでいてすばやい動きを感じさせる直線と矩形の組み合わせは、まさにストランヴィスキーやベルクらの音楽そのまま。

 国際化した時代、日本人作家の作品も世界に知られるようになる。
 山城隆一の≪森・林≫は、明朝体の大小の「森」と「林」が“林立”して、ザワザワとした葉のそよぎが聞こえてきそうな森林を造り出す。
Typographic_Posters_6 亀倉遊作≪ニコンSP≫は、さまざまな「SP」の文字がカラフルに構成され、まるでジグソーパズルのような楽しさとスマートなイメージを共存させている。
Typographic_Posters_7 原弘の≪日本タイポグラフィ展≫は、漢字の部位だけを無作為に切り出し、独特の感覚で構成した渋い一枚。漢字を構成している要素に意識が改めて向かい、“日本のタイポグラフィ”を考えるよいきっかけになる、メッセージ性の強さと、海外の人々に“日本らしさ”をアピールするたくらみに満ちている。彼らしいデザインだ。

 ちなみにこの頃から変わらないベン・シャーンの不器用なそして強いメッセージのポスターもあり、その痛々しいまでのまっすぐさも愛おしい。

 ひとつの様式の確立を機に、世界共通の“言語”としてのタイポグラフィをいかにオリジナリティを活かしながらデザインとして精錬させるか、という、挑戦をみることのできるコーナーだ。

 第3部:躍動する文字と図像:大衆社会とタイポグラフィの連結(1960-70年代)

 世界同時多発的に若者の自国のスタンスや政治に対する不満や要求が突き出され、戦後激動の時代でもあったこのとき、タイポグラフィーを含むポスターの世界も、大きな変革期を迎える。
 国際様式に飽き足りなくなったデザイナーたちの新たな表現制作への欲求と、ますます進歩する印刷技術や写真製版、インクの性能の向上などが重なり、特にアメリカのヒッピー文化やドラック効果を中心に、よりポップで自由なデザインが生まれる。

Typographic_Posters_8 ここではさらに多彩で国際色豊かなポスター作品を楽しむことができる。それはエネルギッシュでかつ挑戦的で、過去の作品に、そして同時代のライバルたちに、刺激を受け、与えていった、エキサイティングな空気がそのまま再現される。

 当時には“若手”であった日本人デザイナーも多く展示され、田中一光(有名な≪第八回産経観世能≫)粟津潔(彼らしいモノクロームの≪第二回世界宗教者平和会議≫(←こんな会議があったことに驚く))、横尾忠則(相変わらずサイケで淫靡でコミカルな演劇公演告知≪大山デブコの犯罪≫)など、「日本語」の特性を活かしたバラエティに富む“デザイン”は、表意文字としての特性と、文字としての形態との融合が豊かなイメージを喚起し、記号としてのアルファベットにはない、拡がりを感じさせる。

 一方、アメリカで生まれたポップな作品たちは、その騒がしさとカラフルさで、文字も写真もイメージもが混然一体となり、非常に饒舌な作品が多い。言わずと知れたウォーホールのポップアートの流れは、大衆消費と若者の孤独とを孕み、どこか危なげで、痛々しさすら感じる。

 ヨーロッパ系ではますますシンプルさを追求したものが、眼を引いた。
 嬉しくなったのはハンス・ノイブルクの≪ダダ展≫やアルミール・マヴィニエ≪デ・スティル展≫(ずれも回顧展ポスター)。こうしたエコールが主張した作品の特徴をうまく拾い上げ、ひと目でわかるタイポグラフィーを創り上げている。
 これらは、会場の2階へ通じる階段の踊り場に展示されていて、時代を受け継ぎながら、さらに未来へと進む展示構成の繋ぎとなっている。この配置はよい演出だ。

 そしてここで感嘆したのは、ペーター・メゲルト≪「白の上の白」展≫とアンジオーロ・ジュゼッペ・フロンツォーニ≪文字探索展≫の2点(画像がないのが残念!)。

 前者は、「白の上の白」を英語、フランス語、ドイツ語(だったと思う…)を連ねて渦巻きにしたもの。展覧会のタイトル通り画面は基本的にまっしろ。そのフォントにシルバー(色ならぬ金銀を美しく載せられるようになったインクと印刷技術あっての作品)で影をつけることによって、浮き上がるように見える。そして見る位置によって浮き上がり方が異なり、その前を歩いて通り過ぎる、あるいは遠くから近寄っていくに従い、読みとれる文字の場所が変化する。単にシルバーのインクのためかと思いきや、近寄ってみると、影のつく方向が徐々に変化していっているのだ。これにより、静止した平面でありながら、視覚上で文字が動いているかのように感じられる。美しくそして緻密で、みごとな作品。

 後者は左右両端に紙面をはみ出る形で文字が配される。真中は空白だ。左右に半分しか見えないそれらの文字は、何のアルファベットなのか、観る者を立ち止まらせて考えさせる。まさに「文字探索」してしまう。
 左右の黒いタイポグラフィーの配置の妙、空間のインパクトと美しさ、寡黙でありながらしっかりとその伝達目的を達成しているスマートさに惚れ込む。かっこよすぎ。

 第4部:電子時代のタイポグラフィ:ポストモダンとDTP革命(1980?90年代)

Typographic_Posters_10 思想でも文化でも、新たな時代を担う人々によってポストモダニズムが叫ばれていたこの時期、同時にインターネットの普及とその活用の拡大は、デジタルでのレイアウトや編集を可能にし、印刷製版も簡便化されて、ますます表現とポスター制作の可能性を拡げる。

 日本は空前のバブル期であり、消費社会が最も活発で(ある意味狂乱で)、華やかな広告文化を咲かせた時期。
 福田繁雄(≪狂言≫は演者の足だけで表現され、そのコミカルさと軽やかさをみごとに表現している)、佐藤晃一(≪竹尾ペーパーショウ1982≫は、算用数字と漢数字を美しく組み合わせた幻想的な一枚)、浅葉克己(空間デザイナーとしての感覚を活かしたそのまま装飾になりそうなアジアンテイストのポスター)、松永真(≪OBJECTS BY 91 DESIGNERS≫91本(数えてみた;笑)のピンが、「9」と「1」を形作る、意味合いの重層を楽しめるシャープな作品)など、それぞれの個性が端的に現われたものが並ぶ。

Typographic_Posters_9 海外作品ではブルーノ・モングッツィ≪「結婚」オスカー・シュレンマー、イゴール・ストランヴィスキー≫の舞台美術展覧会告知が、真剣に身体とその動きを追求しているのに、どこか不器用で楽しいシュレンマーの舞台装置を彷彿とさせるタイポグラフィーの踊るようなカラーと構成が嬉しく、ウッディ・パートルの≪The Letter“Y”≫が、ユニークで、他のA-Zの作品も並べて観たくなる。また、ポール・ランドの≪IBM≫企業広告も、記号としての文字と“ことば”としてのイラストを上手く組み合わせていて端的にコーポレート・イメージを醸成していて好ましい。

 つくばのEXPOのような懐かしいポスターも展示され、現代に戻ってきた感じで展示は終わる。
 
Typographic_Posters_11 110点という点数だが、ポスターであるため、それほどに多いとはを感じない内容。
 100年を一気に概観、しかも世界各国の作品から見せていく構成、主に竹尾ポスターのコレクションからのセレクトのため、各部の作品にやや偏りともの足りなさを感じなくもないが、さまざまな文字がデザイナーの感覚によって豊かなメッセージを競って発している空間はなかなかにエキサイティングだ。

 観る側の好みにも大きく左右されるだろう。
 個人的には、全体を通じて、やはりドイツ系のポスターデザインが印象に残ったようだ(笑)。一歩間違えると“武骨”につながる、線と文字との突き詰めたシンプルさと硬い構成がかっこいい。

 イタリアは、マリネッティの未来派宣言を思い出させるような、スピード感や躍動感を視覚化した“動く”タイポグラフィの処理に長けているな、と。

 アメリカは、ウォーホールらPOPアートのハイセンスから生まれながらも、現代に向かってはやや情報過多なごちゃごちゃしたものが多く、その饒舌さとSFチックな表現がかの国らしいと感じながらも、端的さに欠けるのがちょっと好みからは外れていた(今回のセレクトによるとも思うが)。

 日本のタイポグラフィー作品は、その文字の成り立ちにも関わるのだろう、柔らかさと陰影が生みだすリズムが心地よい。江戸期のデザイナー、光悦と宗達の作品を追想する。
 脈々と流れている伝統と、国際的視点からの新たな“ヴィジュアル”としてのタイポグラフィーは、日本人にとっては西洋のそれよりもはるか昔からなじみ深いものなのかもしれない。

 タイポグラフィックなポスターという視点で集まったこれらの作品、国際様式を経つつも、国ごとになんとなく傾向があることを観てとれるのも面白い。
 
 「文字」がいかに造形としての可能性を持っているか、そしてそのデザインがいかに多様で自由な世界を内包しているか、視覚に楽しく、私たちが持っている“イメージ”を喚起するに刺激的な展覧会。
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テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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