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「生きる」人間の眼で描かれるルーマニアの闇 -『狙われたキツネ』-

『狙われたキツネ』 ヘルタ・ミュラー 山本 浩司 訳(三修社)
 

 一昨年のノーベル文学賞受賞者。
 読みたいと思いながら、ついつい(楽しみで)後回しに。
 期待通り、いやそれ以上で、うまく言葉が紡げないのだけれど。

 1989年のルーマニア(明記はされていない)。
 アディーナとクララのふたりの女性が公営アパートの屋上で日向ぼっこをするシーンから始まる物語は、すでに倦怠に彩られている。
 教師であるアディーナと工場で働くクララの姿を中心に小さなシーンの断片が描いていくのは、独裁政権下に抑圧され、蹂躙され、諦念の中に生きる人々の姿とその国の状態だ。

 共産政権側の街<権力の閑静な住宅街>と、彼らに使役される人々の、飢えと貧困と鬱屈。
 人々はパンを得るために、毎日長い行列を作っている。
 子どもたちは栄養失調で指にイボを作り、授業ではなくトマト畑に収穫労働に使われる。
 男たちは工場での負傷も保証されず、むしろ無理やりに飲酒のせいとされ、職を失う。
 女たちは為政者側の人間にセクハラを受け、生きていくためにはそれをかわすすべがない。
 ロマや少数民族たちは迫害され、物乞いか、片田舎でひっそりと生活するしかない。
 若者は敵のいない軍隊で、日々意味のない訓練と称される上官の気まぐれにつき合わされる。
 
 そしてあちこちに存在する密告者や秘密警察。ふとした言動が“党”へと報告されれば、盗聴、家宅侵入、尾行、それに付随する嫌がらせ、そしてついには連行と行方不明…。
 こうした現状を逃れるため、荒れ果てた草原の向こう、あるいはドナウの向こう岸を目指した人々は、“木の枝が折れたような”それでいて独特の渇いた音とともに消息を絶つ…。

 アディーナも、トマト収穫の際に子どもたちに口にしたひとことで、そしてそれを穏便にすまそうと取引を持ちかけてきた校長の誘いを断ったために、秘密警察の干渉を受けることになる。
 毎日帰宅すると、トイレには吸殻やヒマワリの種の殻が投げ込まれており、どこかが切断されている狐の敷物―――。

 陰湿な脅迫に気が狂いそうになった時に知った、親友クララの不倫相手。それこそが、秘密警察の中心的存在だった。
 「あんな男にも平気で抱かれるのね!」、絶交を言い渡したアディーナだが、サッカーの試合に高揚した国民感情を抑えるために行われた一斉検挙の知らせを事前にもたらし、彼女を救ったのはクララだった。
 友人を頼って昔の恋人パウルと田舎に隠れ住んでいた彼女にやがてもたらされたのは、独裁政権の崩壊と<カールした髪>の死の映像。
 
 無事街に戻ったアディーナは、逃亡している恋人を信じ彼の元へ行こうか悩むクララにいう。
 「あなたはもう完全によそ者になったのよ。ここで今さら何をしようというの?」
 同僚の女性とその娘をアパートに招き、ふたりでツィカを乾杯するアディーナ。
 狐の敷物をパウルとともにドナウに流した時、助けられなかった友人を想い、パウルは泣きながらいう。「気にすることはない、気にすることはないんだ」。
 そのころ、兵役に行っていた恋人は草原を抜けて他国へと旅立った―――。

 そう、独裁政権は崩壊したが、日々の生活は大きく変わってはいない。お気に入りの狐の敷物も、そして恋人も親友も失ったアディーナは、それでも“ここで”生きていかなければならない。
 最後のパラグラフのあまりの切なさに、胸が絞めつけられる。
 彼らの流した涙は、政権崩壊に対する喜びだけではないのだ…。
   
 チャウシェスク政権の崩壊の史実に寄り添いながら、徹底してその圧政下に生きる人々の視点で、ルーマニアの街と民衆の姿を浮き上がらせる、その文章が(翻訳だけれど)すばらしい…!
 モザイクのように描かれる人々の日常が、街の、工場の、農場の情景とともに、その閉塞した重たい生活と、倦み疲れ、静かに喘いでいるルーマニアを形作っていく。
 
 そこでは街に植えられたポプラも<緑のナイフ>であり、労働者を毎日工場へ運ぶバスも、人々に寒さをもたらす冷たい風も、すべてが意思を持っており、そこに生きる人々への悪意に満ちている。工場にいる猫の目も、新聞に載る<カールした髪>の<黒い瞳>も、あらゆるものが“監視”の要素を孕む。

 物語に登場する人物たちの多くは、名前ではなく< >で、象徴的に示される。<カールした髪><ヒマワリの種を持った釣り人><赤と青の水玉模様のネクタイをした男>…。
 それらは固有名詞を与えられるよりも無機的な空気を醸し出しながら、その表情のない(のに)個性を浮き上がらせ、淫靡な監視の「眼」の恐怖をいや増す。
 また、「ツィカ(ルーマニアの果実酒らしい)」「ヒマワリの種」「リンゴ」「胡桃」「トマト」といった“口にされるもの”が、とても効果的に使用される。

 その視線は、彼らの生と性(セックス)とともに、非常に女性らしい繊細さと痛々しさ、大胆と生々しさ、逞しさと渇きを持ち、みごとな表現となって物語を貼り合わせていく。
 こうして淡々と綴られる情景はあまりにも重く、干からびて、すべてが灰色に染まっていき、灼熱の太陽の靄の中に、酷寒の風の中に、翻弄されつつも“生きる”人々の強さと哀しさを表現しており、読後は言葉を失なった。

 そしてあまりにもやるせない想いと共に残るのが、ドナウ川。
 その流れによって隣国からこの国を厚く隔てているこの川の水だけが、亡命しようとして射殺された者や、絶望に自ら命を絶った者をも飲み込んで、奥深く静かに流れ、大きな残酷さと優しさを印象づける。
 そのやさしさは絶望に彩られ、過酷であるがゆえに雄大で、彼らにとっての永遠の象徴としてこの灰色の世界に横たわる。
 

 大戦後、ソビエトの支配圏に組み込まれ、感覚的にも“遠い国”だったルーマニア。
 オリンピックでの体操の活躍くらいしか接点がなかったこの国が、前世紀末にメディアを通じて送ってきた衝撃的な映像、独裁政権の頂点に君臨していたチャウシェスクの銃殺シーン。
 このときほとんど初めて、ルーマニアが置かれていた(そして多くの東欧社会が置かれていた)状況の一端に触れ、なんにも知らなかった自分に愕然としたと同時に、抑圧された民衆のギリギリの忍耐が爆発し、民主化革命が起こされたこのニュースは、何も射殺体を映さなくても…という思いも起こしつつ、いかに彼らの怒りが大きかったかを感じさせた。

 しかし、その前も後も、ルーマニアがどのような経過をたどっているのかを、深く追いかけた自分もいなかったし、メディアで紹介されることも少ない。結局今でも“遠い国”のままであることを思い知らされる。

 『狙われたキツネ』は、作者ミュラーのそして彼女の周囲の体験を元に、史実を敷衍した「物語」である。 
 しかしながら、この「物語」としてのすばらしさと、与えられる衝撃と感動は、「文学が世界に、社会に対して出来ることはあるのか?」という問いに対する、ひとつの雄弁で力強い回答となっている。


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