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解釈の両義性と重層性を示す哲学ミステリ ―『吸血鬼と精神分析』―

『吸血鬼と精神分析』 笠井潔 (光文社)


 2008年『青銅の悲劇』から、待ち焦がれた矢吹駆シリーズの第6弾。(ちなみに『青銅の悲劇』は番外編?のようだ)
 刊行されていたことにしばらく気づかず、慌てて購入、またもや他を中止して(笑)。

 『バイバイ、エンジェル』から何年たっただろう。この第一作はいまだに個人的なミステリ・ランキングの中でトップランクに入るお気に入りだ。
 現象学を事件の謎の解決に使用するこのシリーズは、哲学的考察をふんだんに盛り込み(時にはストーリーにそこまで必要を感じないまでに)、なかなか難解なのだけれど、(私みたいな)哲学を学びたいと思っているが、いきなり当人の専門書はハードルが…という人間には入門書としても読める。(作者の批評が介入していることが前提だけれど)
 実在の哲学者や思想家を仮名で登場させ、駆との対話を通してその人物像を造り上げ、解釈を披露してくれるのも楽しい。

 駆(カケル)の造形には、著者自身の若くして学生運動に参加、極左への傾倒、その挫折を経て、パリで過ごした経験が投影されているようだ。
 そして『テロルの現象学』はじめとする数々の評論に感じさせる論理的な思考はカケルを、そしてミステリ作品そのものを形づくっている。

 やや引きこもりの気があるこの青年は、救い難い暗さと、何事にも冷静な理知が魅力的な二枚目探偵。彼はこのシリーズを通して、かしこく活動的な警視庁総監の娘ナディアに引っ張り回され、さまざまな事件をその「本質的直観」を以って解決していくうちに、一連の黒幕であるニコライ・イリイチとの対決を鮮明にしてきているところだ。

 ちょっとこれまでにないキッチュなタイトルに、前作(『青銅…』)の違和感を想い出してやや不安を覚えたものの、舞台は改めてパリに戻り、久しぶりに無愛想で破滅的ともいえそうな自身だけの絶対正義に立つ孤独な青年カケルに出逢えたかな、と。

 先の事件(『オイディプス症候群』)で、閉ざされた孤島で恐ろしい殺人鬼に殺されかけたナディア・モガールは、事件の後遺症に悩まされていた。外出する気にもなれず、不眠か、眠っても悪夢で目覚める毎日に、やがて鏡を見られなくなる症状が出てくる。カケルがいれば耐えられたかもしれない苦痛だが、彼はアメリカに行ってしまい、連絡もない。

 精神科の治療に対する疑念と抵抗が消えない彼女だったが、友人の勧めでルーマニア人の女医の元に通うことになる。
 そこでタチアナという少女と出逢い、初対面ながら彼女の切望で、夜中のディスコで彼女に会うことになってしまう。気の進まぬままに、かつてはよく遊んでいたディスコを訪れた時、そこにいたのは、ナディアのことなど知らないという、別人のような雰囲気を持ったタチアナだった。後日、彼女は自身が夢遊病か二重人格ではないかと悩んでいたことが明らかになってくる。

 一方、巷では、ルーマニアから亡命した軍高官が、フランス政府が用意していたセイフティハウスで銃殺される。そこに残された謎の血文字。それは死者からのメッセージなのか、殺人者の意思なのか…。
 さらには、毎週金曜日の夜に若い女性が殺害される事件が起こる。この連続殺人の被害者はみな体から血をすべて抜き取られていた。世間では「ヴァンピール事件」としてセンセーショナルに報道され、捜査に当たっていたナディアの父モガール警視と部下で友人のバルベス警部(この二人もレギュラー)は、阻止できないことへの非難と重圧に追い詰められていた。
 普段なら事件に興味を持ち、介入したがるナディアも、今回ばかりはその元気もない。

 そんなときに、カケルがアメリカから帰ってくる。
 彼にしては珍しく、銃殺された亡命軍人の事件に興味を持ち、バルベス警部に話を聞きたがる。その代わりということで、「ヴァンピール事件」の謎ときを依頼されたカケル。彼と会うことで多少元気を取り戻すナディアは、共に事件に関わっていくことになる。

 ナディアの精神分析治療とそこに関わる人々、そして亡命軍人の死、毎週末に起こる連続殺人事件が繋がったとき、そこに見えてきたものとは…。

 今回はフロイトからはじまる精神分析論が展開される。主たる対象はラカンか。
 このシリーズに慣れているとこの講釈が面白いのだが、ざっくりとしか捉えていない「精神分析」というものがどれほどに微妙な差異と解釈の多様性を持っているかを思い知らされて、頭の整理に時間がかかる(苦)。
 さらにここにソシュールの言語学において提唱された「シニフィエ/シニフィアン」による「シーニュ(記号)」の定義が語られる。
「指示するもの/指示されるもの」の関係性について交わされるカケルとナディアの対話は、どうしても途中でこんがらがってくるこの言語学解釈を分かりやすく見せてくれて嬉しい。

 個人的には(著作をきちんと読んではいないのだが)フロイトの「去勢」に基づく論理は、オイディプス・コンプレックスに一定の説得力を感じつつも、どうしても男性主体であり、女性の分析には一様でない気がしていたのだが、この作品ではその辺りの偏りにも言及しつつ、そこにひとつの疑義を呈しているところも好ましい。

 西洋キリスト教とユダヤ教の問題、そして各地に根ざしていた地元の古い信仰との排除・融合の歴史と人々の意識、さらには社会主義における抑圧と限界、民主主義との対立(これはシリーズに通底しているテーマだろう)、そこに吸血鬼譚のルーツを重ねることで見えてくる今回の殺人劇の顛末は、なんとなく途中から読めるものの、今回の「本質的直観」の両義性(シニフィエ/シニフィアン)を最期まで留保させているところが上手い。

 「血が失われた肉」が本質か、「肉から失われた血」が本質か――この立ち位置によって事件の姿が大きく変わってくるという解釈の可能性については、これまでの作品の中でも最も分かりやすい「本質的直観」の見え方になっている。

 個人的には事件の結末はややもの足りなくもあったが、そこまでの展開が充分に楽しめるし、精神分析をテーマとした本作品としての落ちとしては妥当だとも。

 ちょっぴり大人になったナディアも、やや元気のない姿で現われたが、根っからのおてんばぶりは健在だし、今回はまた格別ジャン=ポールこと、バルベス警部がお茶目に活躍している。
 相変わらずほとんどしゃべらず、無感動な(美)青年カケルの魅力はイリイチとの対決を鮮明にした辺りから少し人間味が出てきている。

 彼岸と此岸の境に立っているような、善悪を超越してしまったようなカケルが10作と言われているこのシリーズの後半に向けて、どのような変貌を遂げていくのか、また、鏡を見られない症状を脱しつつあるナディアが決意した行動を含め、ふたりの関係がどうなっていくのか、そして何よりこれからどんな思想・哲学の論議を精緻なミステリの中で展開してくれるのか、やはりこのシリーズはやめられない。
 できればもう一度すべてを読みなおしたいとも思う。(10作完結したら実践しよう、と…汗)。

 現在連載中という「煉獄の時」、タイトルからますますカケルの苦悩とイリイチとの苦闘が予想されるのだけれど、早く単行本化しないか、と(もう)待ち焦がれている。

 もちろん、ミステリとしては本書だけでも充分に楽しめる。とはいえ(迂遠になるが)やっぱり第一作からの方がおススメかな。

 ちなみにシリーズは下記。
     1 バイバイ、エンジェル
     2 サマー・アポカリプス
     3 薔薇の女
     4 哲学者の密室(↑ここまで創元推理文庫にて刊行あり)
     5 オイディプス症候群(光文社文庫)

     ・シリーズ前段として
      熾天使の夏(創元推理文庫)

     ・番外編
      青銅の悲劇(講談社ノベルス)



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