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過酷な現実に対峙する女たちの愛と痛み ―『音もなく少女は』―

『音もなく少女は』 ボストン テラン  田口 俊樹 訳(文春文庫)

 
 タイトルが気になって手にした一冊。
 著者はミステリ作家として評価が高く、「このミス」でも1位を獲得した作品『神は銃弾』で知られているらしい。

 第四本目という本作はミステリというよりもライフ・ストーリーとなっている。
 変な先入観なく読めたのはよかったのかもしれない。

 1960年頃のニューヨークブロンクス。
 イタリア系移民の子供として貧困な家庭に生まれたイヴは、生まれながらに聴力にハンディを負っていた。
 アパートの管理人として外面はよいながら裏では麻薬の密売をしている小悪党の父は、家庭内では暴力をふるう暴君。障害のある娘を恥じ、そんな子供を生んだ妻を責め、家の中は徐々に不穏な空気に取り囲まれていく。
 音のない世界に生きるイヴは、そんな両親の空気を感じながら、父を憎み、母に寄り添って成長していく。娘への後ろめたさと気まぐれによって父から与えられたカメラによりその才能を膨らませながら。
 敬虔なキリスト教者として育った母はなかなか決心がつかなかったが、あるとき出逢ったドイツ人女性フランの助言と友情を得て、娘の将来のために別れることを決意する。しかしその意志を伝えるや、夫は彼女を殺害してしまう。
 突然消息を絶った母には父が関わっていることを確信しながらも、証拠がないままに彼を弾劾もできず、イヴはフランの元で生活を始める。

 ナチス時代のドイツで残酷な仕打ちを受け、最愛の人も失ってアメリカにやってきたフランは、信仰も持たず、祖父から引き継いだキャンディショップを経営する一人暮らし。心と体に当時の深い傷を持ち、孤高に生きてきた彼女にとっても、イヴとその母のクラリッサとの出逢いは、ひとつの大きな転機でもあった。

 麻薬の取引のカモフラージュとしてイヴを使いたい父親の干渉にもめげず、フランから教えられ、ますますその才能を開花させていく写真を通じて知り合ったチャーリーとの恋も得たイヴは、フランと共に新しい道を切り開いていくかと思えたのだが、血縁というしがらみは簡単に彼女を解放してはくれなかった…。
 多くの悲しみと怒りと不幸に遭いながらも、闘うことを、生きることを決して諦めない女たちが最後にたどり着いたのは――。

 冒頭に殺人事件の報道と、その事件に対するとある目撃者の手紙、そしてイヴとチャーリーとの和やかなラブ・シーンが写されて始まる物語は、そこに至る過程を追っていく形で綴られていく。
 
 差別(人種に対してもハンディに対しても)と貧困の中で生きていくために行われる犯罪、そしてその犯罪によって生まれる悲劇と不幸の、途切れることのない負の連鎖。それらは一人の人間性の問題ではなく、この時代のアメリカ(そして現在も)が抱えていた社会の構造としてある。
 一人の聾者である少女の環境を通して、静かに、冷徹にその大きな闇が照射されていく。

 同時に現代ほどにその権利も立場も保障されていなかった女性の過酷な状況と、それに甘んじることなく立ち向かっていく女たちの孤独で痛い闘いと強さが、救いのない、そして美しくも清廉でもない現実の中に描かれている。

 ストーリーの展開としては残酷な現実ながら予測可能な世界にとどまっており、正直なところその結末も含め、大きな感動も驚きもなく、非常にアメリカらしい作品といえるが、音のない世界に生きるイヴの設定と、彼女が「目にする」世界の描写が、そうした非情な世界に対峙する彼女の恐怖とインパクトをより引き出している。
 また、イヴとその母を救うことになるフランの過去とそこから形成された性格が、「女性」の物語としての深みを持たせ、物語全体に厚みを加味していると言えるか。
 そして三人の女の中で残されたイヴが自身の作品の展示において実行する主張の手法と意味するものが、とても印象的で痛みに満ちているラストはよい。

 現実は厳しい。
 写真という才に恵まれたこと、そしてフランという女性に出逢えたこと、イヴにとってのこの幸運は決して十全な幸福を彼女に約束したものではなかったけれど、それでも多くの他のイヴたちは、そんな出遭いにすら恵まれず、もっと悲惨な人生をあるいは死を受けていることを考えずにはいられない。
 それでも女たちは愛し、育み、生きていく。

 原題は『Woman』。
 邦題も、なかなか魅力的なタイトルだが、この物語にはシンプルな原題の方が合っていたように思う。 


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ジャンル : 小説・文学

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