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“プレ”と“ポスト”の作品が光る ~『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』~

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション』 (国立新美術館)

washington_national_gallaryチラシ_1
 今年70周年を迎えるワシントン・ナショナル・ギャラリーが、その大改修のために貸出しを許したことで、豪華な展示内容が実現した展覧会。
 このところ改修ラッシュでゴージャスな作品ラインナップの来日が続いている中、オルセーの後に、「これを見ずには印象派は語れない」のサブキャッチは、やや過大かとも感じなくもないが、確かにマネ、セザンヌ、そしてモネは、かなりの作品が揃っている。
 チラシに使われたマネと久しぶりに再会できるのなら行かずにはいられない(笑)。

 人気の印象派から後期印象派、混む前に、と早めの訪問(訪問はちょっと前…)。
 平日午前、思ったよりも人も少なく、結果ひと巡りしてからいま一度戻ってお気に入りをじっくり眺められる空間で鑑賞できた。

 印象派に注目して、その前後を彩った作家たちの作品が時系列的な章立てで構成されており、「正統派」な内容だ。

 1.印象派登場まで

 ホタホタとした白い筆のタッチが柔らかい緑の空気をより優しくするコローの風景画から始まる。
 バルビゾン派の理想化されたこの郊外風景と、発達する都市風景やブルジョア風俗を描いたマネ、ブータン、そして「見えないものは描かない」と断言した写実主義のクールベなど、印象派に大きな影響を与えた“プレ印象派”ともいえる画家たちの作品が並ぶ。

 クールベ≪ルー川の洞窟≫。洞窟に向かって筏を漕ぐ青年の後ろ姿、眼前にせまる洞窟の岩の質感、どこかベックリンの≪死の島≫を彷彿とさせながら、改めてその写実の腕に、そして不思議な情感を湛えた大作で印象に残る。

 ここではやはり群を抜いてマネのラインナップがよい。

Washington_manet_1 ≪鉄道≫(久しぶりの再会)のブルジョア母子を全面に、格子の向こうに見える蒸気機関車の煙る駅。鮮やかな黒と青と白の配色が美しく、その大胆なテーマの捉え方は、マネの代表作のひとつだ。

Washington_manet_2 それはもとより、≪オペラ座の仮面舞踏会≫が来ていたのが嬉しい。
 敢えて2階を途中で切り、上階にいる人々は足だけしか見せず、階下の群衆も横一列に並べた大胆な構図は、クールベの≪オルナンの埋葬≫に通ずる伝統的な絵画構図を無化する画家の確信的な試行だ。シルクハットが林立する中、画面右半分は紳士淑女(娼婦?)の黒い衣装で埋め、左には、踊り子や芸人たちの華やかな色彩を配するみごとな視覚的効果。よりカラフルな道化師の背中が半分にされているのも、憎いほどに。
 会場のざわめきとともに、中央で視線を呼び込む4人の男女からは、女性の嬌声が聞こえてきそうだ。その左側では、芸人の女性を口説く男たちの姿がさりげなく描かれ、当時の風俗を色濃く浮き彫りにしている。
 マネの黒を堪能し、画家として目指していたものをとても視覚的に表してくれる一作。大好きな作品だ。

 また、描かれた対象の衣装のピンクが美しい≪プラム酒≫は、まるでスナップ写真のようにカフェにくつろぐ女性だけを切り取った、そのクローズアップが印象的な一枚。物憂げに頬づえをつく女性は、誰かを待っているのか。その反対の指にはタバコが挟まれて、女性の身分やその情景に観る者は豊かな物語を紡ぎだしたくなる。

 ラトゥールは、静物画≪皿の上の3つの桃≫が1点。女性の裸体画でも作品の多いラトゥールだが、静物画の方が好きなので、これもちょっと嬉しい。
 このほか、ブーダン(画面下1/3に水平線を持ってくる独特の構図での風景画はひと目で彼と知れる。どれも似たような作品なのになぜか毎回目が止まる)、バジール(とても分かりやすいのだが、どこかインパクトに欠けるんだな…)がある。

 2.印象派

 ピサロ、ドガ、モネ、ルノアールなど代表作家とともに、ベルト・モリゾ、メアリー・カサットら、印象派の女性作家の作品が多く来日している。特にアメリカ人カサットの作品こそ、ワシントンならではの所蔵として、この展覧会の独自性をアピールするラインナップと言える。

Washington_pissarro 相変わらずコマコマとしたタッチが観ているだけで嬉しくなってしまうピサロ。
 終生描き続けたパリの街の風景の一枚≪カルーゼル広場、パリ≫、郊外の農園風景を描いた≪ルーヴェンヌの花咲く果樹園≫は、モネとはまた異なった意味で、光を捉え、空気を捉えていたことを思わせる。
 印象派の最長老として、晩年までその光と色彩を追求した穏やかな姿と、作品の持つ雰囲気が、とてもマッチしている気がする。

 ドガでは、≪アイロンをかける女性≫。
 思わずピカソの作品と並べたくなる。ドガの的確なデッサンからなる構図にベージュと薄い水色からなる画面のトーン、ピカソの≪アイロンをかける女≫の、困窮と疲労を感じさせる青の時代の代表作の抒情性、ふたつを比べて観てみたい。
 何の確信もないが、ピカソはこのドガの作品を観ていたのではないかな、なんて空想を働かせる、静かだけれど、印象深い一枚。

Washington_degas もちろん、「踊り子」も来ている。≪舞台裏の踊り子≫は、踊り子の姿というよりは、彼女を口説いているシルクハットの紳士の存在が強調され、当時のバレエ界の風俗を鋭く描いた作品になっている。パステルの輝きはないながら、踊り子のピンクのチュチュの質感と、全体的に暗めな色彩の中に光る彼女の髪止めと腕の花の赤が効いている。

 モネのコーナーは壮観だ。

Washington_monet_1 ≪日傘の女性、モネ夫人と息子≫は、降り注ぐ陽光の中、下から見上げるような視点で描かれた母子像。しかし、その人物はだんだんと存在を希薄にし、その上から彼女たちを影にしている陽の光そのもの、その温度、そして彼の妻の衣装やベールをなびかせている風を観るものに感じさせる。
 モネが描きたかったのは、対象ではなく、対象を通じて感じさせる光と温度と空気の流れだったことを改めて実感する。

Washington_monet_2 ≪ヴェトゥイユの画家の庭≫でも、繁茂するヒマワリやグラジオラスといった植物の勢いとその夏の空気、日差しの強さが追求されている。

 このほか、彼が繰り返し描いた風景≪アルジャントゥイユ≫、自宅に造り繰り返し描いた≪太鼓橋≫のひとつ、息子の誕生を言祝ぐような≪揺りかご、カミーユと画家の息子のジャン≫(ほんとうに久しぶり!いつかの大きな『モネ展』以来か)など、制作年代も広く一望できる感がある。

Washington_renoir_1 ルノワールは、≪踊り子≫にため息。
 少女の肖像を描かせたら、その愛らしさと気品で断トツといえる彼の最盛期の一枚。透けるような白い肌、あどけなさを残す美しい表情、そしてブルーがかった色いチュチュの柔らかさと溶けていくような透明感…。やや褐色がかった灰色のシンプルな背景に、すっくりとポーズをとる少女の可憐さは、文句なしだ。

Washington_renoir_2 そして彼には珍しい、都市風景画が観られたのは予想外だった。
 ≪ポン・ヌフ、パリ≫は、いまでも充分にその面影を残す石橋が、左岸側からのやや俯瞰から描かれる。明るい陽の光、白い雲、そして建物にかかる影には、ルノワールの紺青がふんだんに使われている。ピサロのそれとは異なった、しっとりした絵具の質感を感じさせる。

 また、彼にも≪皿の上の桃≫の静物画があり、ラトゥールがかつて仲間の画家たちを描いた作品に、若きルノワールの姿もあったことを思い出して、これも両者を並べてみたいな、と。両者の静物画に「桃」を持ってきたところ、セレクトのセンスにニヤリとしてしまう。

 モリゾは、オルセーにあるマネの筆による美しい肖像画で知られているが、彼女自身も画家としてよい作品を残している。
 ここでは3点、ジャポニスムの影響を感じさせる≪姉妹≫や、軽やかな筆遣いで描いた≪麦わら帽子をかぶる若い女性≫など。

 どちらも女性らしい視点で、母子や子どもを描いたふたりの女流画家。いつもならばモリゾの方が好きなのだが、今回はカサットがよい。

Washington_cassatt 特に≪青いひじ掛け椅子の少女≫、エメラルド・ブルーのひじ掛け椅子に、きりりとした美貌のおしゃまな少女がしどけなく座っている。その幼さに共存するおませな色気がとてもよく捉えられていて、全体を覆う強いブルーの色合いと調和する。
 少女の肌の白さとドレスの白が、ソファーカバーの色に引き立ち、ひじ掛けと靴下・靴に配された黒はよいアクセントになっている。インパクトのある作品だ。

 同じく次章の版画でもカサットの作品が印象深かった。

 3.紙の上の印象派

 ちょっと分かりにくいタイトルだと思ったが、要はキャンバスだけではなく、印象派の画家たちも当時の印刷技術の隆盛にのって、数々の版画作品を残している、その足跡をたどるコーナーらしい。

 油彩ばかりで構成されることの多いこうした企画展で、敢えて版画だけでコーナーを作ってあるのは、版画好きには嬉しい趣向だ。
 マネ、ピサロ、ドガ、ルノワール、カサット、セザンヌ、ゴーギャン、そして当時の版画と言えば、のロートレックらの作品が展示されている。

 マネやドガの、黒を活かした作品のよさはいうまでもないが、ピサロの作品≪キャベツ畑≫≪ポントワーズの野菜市場≫(なぜ野菜ばかり…?)が面白い。
 そしてシスレーは大好きな≪川岸≫がきている。絵本のような川岸の風景、そこに描かれた8羽のアヒルが、何ともユーモラスでかわいい作品。ひょこひょこと歩くアヒルを観ているだけで笑みがこぼれる。

 カサット、日本の浮世絵版画に影響を受けたような≪入浴≫や≪浴女≫はよく見かけるが、アクアチントの効果をうまく活用した≪オペラ座の桟敷席にて≫が、とてもよい。桟敷に座る女性ひとりにスポットを当てた構図だが、滲むような印刷の陰影に、オペラ座のライトや、観客席の背景の人波が幻想的に浮かび上がった一枚で、お気に入り。

 ゴッホ(≪ガシェ医師≫)、ゴーギャン(≪ノア・ノア≫)など、決して目新しいものではないながら、有名どころが並ぶのもなかなか。

 その中で思わず足が止まったのは、セザンヌ。≪自画像≫や≪水浴をする男たち≫などのメジャーとともに並んでいた≪ゼラニウム≫に一目惚れする。
 水彩作品で、ゼラニウムの鉢が描かれているだけなのだが、その葉の重なりの美しさとリズムにすっかり魅せられる。油彩にも現われる彼独特の余白の残る筆遣いが、濃紺から浅い黄土色までのグリーンの色階を使い、植物が造り出す自然の構図をさらに目に心地よく描き出していく。作品保存上、やや暗めの照明の中だったのは少々残念ながら、これはお持ち帰りしたい一品だ。

Washington_lautrec ロートレックは≪マルセル・ランデ嬢の胸像≫(リトグラフ)と≪アンバサトゥールの粋な人々≫の大きめの作品で、その線の妙と軽やかでシニカルな描写の天才を見せつける。
 彼にはいつも切なく知的なセンスに魅了される。できればもっと生きていてほしかったし、もっと描いてほしかった、と思う、大好きな画家のひとりだ。

 4.ポスト印象派以降

 前章のロートレックを受けて、彼の作品から始まる最終章。≪カルメン・ゴーダン≫の小品は、その大きさにも関わらず、迫力のある作品で、これまた彼の描写力と洒脱な感覚を堪能できる。

 そしてそのとなりから始まるセザンヌに圧倒される。

Washington_cezanne_1 ≪『レヴェヌマン』紙を読む画家の父≫。裕福な銀行家で、厳格だった父への尊敬と愛情が感じられる一枚。シンプルな構図と色彩の中に丁寧に描かれた父の姿は、それがセザンヌの父と知らなくても、独特の威厳を持って観る者の足を止める。背景にある小さな静物画は、彼自身の作品か。

Washington_cezanne_2 ≪赤いチョッキの少年≫は、もう少し立体構成の手法が取り込まれた作品。キュビスムを先行した奥行きを制限するカーテンの前に立つ少年は、まだ彼独特の“歪み”はないながら、微妙な色合いと筆遣いがセザンヌ独自の描法で、少し拗ねたようなモデルの表情も印象的だ。

 さらに並べられた2枚の風景画≪水辺にて≫と≪川辺≫。制作年代はやや離れているが、どちらもうっとり。
 特に≪水辺にて≫では、油彩とは思えないくらい淡く、軽やかな筆遣いで湖畔(?)の風景を描く。白い岸壁とそこに生える木立、その間に立つ建物が、抑えたグリーンの色調で描き出される。水に映り込むそれらははっきりとはしない。ただその色合いだけが縦に置かれる筆跡で描かれる。その地の白を活かした水面がなんとも美しい透明感と静謐を湛える。そして画面右寄り中央に置かれた赤。何が描かれているのか分からないのだが、その赤が画面を引き締める。水面にもわずかに反映しているので、“何か”なのだろうと思うのだが、それよりも、まるでそこにその色がないと画面が定着しないことから本能的においた色のようにしか見えない。そこがまた楽しくなってくる一枚だ。

 この2枚の風景画はいつまででも観ていられる。しっかりと描きこんだとは言えない淡白な作品が、静かにそして印象強く語りかけてくる。周りの喧騒も消えてしまうほどに。

Washington_seurat 静けさでいえば、スーラ≪オンフルールの灯台≫も負けてはいない。
 微妙に点描の大きさを変えながら、砂浜とその先の灯台、海岸沿いの建物、そして遠景の波止場とヨットが、相変わらずの神経質ともいえる筆致で描かれる。光の中に静かにたたずむ灯台は、青や赤など画面の中で最もさまざまな色が使われており、その白さを視覚の中で構成している色彩の豊かさに改めて驚愕する。
 こちらも遠のいて、そしてまた近づいて、いつまででも眺めていられる詩情と魅力を湛えた一枚。

 もう一点の≪ノルマンディのポール=アン=ベッサンの海景≫も、またみごとに額に相当する個所も点描で描きこまれた、スーラらしい一点で、ほぅ…、と。
 網膜と色彩の理論に武装された絵画描法が、ここまで美しく、人を魅了してやまない作品になる、これはスーラという天才の存在があってこそだけれど、科学と芸術とが決して対極ではないことを毎回実感させてくれる。
 ≪ノルマンディ…≫は持って帰りたいぞ。

 ゴーギャンは一点。ポン=タヴェン派と言われた時代の、ブルターニュの少女たちを描いた≪ブルターニュの踊る少女たち、ポン=タヴェン≫が。
 まだ印象派の明るい色彩による描法ながら、自然の描写から一歩離れて、象徴的な、モニュメンタルな要素が入ってくる時期の丁寧な作品だ。

 そしてゴッホ。
 チラシになっている≪自画像≫は、残念ながら先の『没後120年 ゴッホ展』に来ていたものに比べると、質はやや下がるか。
Washington_gogh しかし、会場最後に展示されていた≪薔薇≫がみごと。
 うねるような筆で、エメラルド・グリーンの背景とややそれより濃いめのグリーンのテーブルの上で咲き誇る白いバラ。その勢いを強め、あるいはなだめるかのように背景の色に混ぜられた白い斜めのライン。明るいグリーンと白に統一された画面は、花が活けられた壺と蕾に使われたわずかな茶系で抑えられながら、背景の勢いも加わって、その生命感をアピールする。毎回彼の花の画には魅せられるが、これまた強烈なオーラを放つ一枚だ。

 最後にこれを観て出るのはなかなか豪華な感じで満足感を与えてくれる。

washington_national_gallaryチラシ_2
 個人的な好みもあるが、「印象派」よりは“プレ”と“ポスト”の作品の方がレヴェルが高い展示内容であると思われた。
 確かに版画作品も含めていずれもクオリティは申し分ない。展示構成もシンプルだし、点数もそれほど多くなく、油彩については大きめの作品が多いので、印象派前後の主要画家の名品を楽しむにはもってこいの展覧会だ。

 ワシントンまで行かずに、明るくゴージャスな空間で、充分に幸せな時間を過ごせることは間違いない。
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テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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