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世紀末ウィーンに咲く小粒な輝石の魅力 ―『花・死人に口なし』―

『花・死人に口なし 他7篇』 シュニッツラー  番匠谷 英一 山本 有三 訳(岩波文庫)

 
 あれはたしか池内紀氏の編による同じく岩波文庫だったと記憶しているが、『ウィーン世紀末文学選』が、シュニッツラーを初めて強く意識して読んだのではなかったか。(実はその前に『カサノヴァの帰還』を知らずに読んでいたのだけれど)

 身もふたもない言い方をしてしまえば、彼の短編は基本的にはいずれも不倫小説である。
 ただ、そこに容赦のない結末としての死を携えて、エロスとタナトスというこの時代のウィーンの空気を、その知的でシニカルな視線、ロマンティックな叙述、そして柔らかく精緻な表現に端的にまとめていたのにとても惹かれた。

 このたび本書が新たに編されたので、久しぶりに世紀末ウィーンの革新としての文学的エッセンスと、彼の地の爛熟と退廃の中に生きる人々の心理に浸りたくなった。

 二人の翻訳者による9篇の短編(うちひとりが山本有三なのがまた…)。

 一度の裏切りのために捨てた女から送られる未練の花に、新しい若い女と共に時間を過ごしながら想いを馳せる男。ちょっとした怪談めいた顛末と、メランコリックなのに非情な男の追想が、花の萎れていく様子に象徴的に描かれる「花」。

 人妻との限られた逢瀬の時間を焦がれる青年の「待つ」苦しみと不安の心理状況、そして追い詰められた結果の行動が、やがて決定的な別れに遭遇するまでを刻々と綴る「わかれ」。

 情夫との逢引の最中に事故が起こり相手が死亡したのを、置き去りにして逃げ去った女。しかしその罪悪感とことが露見する不安から、夫の前でつい口にでてしまったひと言ですべてを崩壊させる「死人に口なし」。

 旅人のふとした悪意が、弟を失明に追いやった事故に永遠の罪悪感を持つ兄と、その兄に頼って生きる弟の貧しくも助け合っていた兄弟の信頼の絆に罅を入れ、悲しい犯罪への結末をもたらす「盲目のジェロニモとその兄」。

 肌の色の異なる子どもを生んだ妻の貞淑を証明するために、人間が眼にしたものに影響される事例を挙げ連ね、自身の死によって社会の嘲笑と揶揄を跳ね返そうとする男の遺書「アンドレアース・タマイアーの最後の手紙」。

 不実で多情な芸術家の夫を持った女が、必死で幸福な妻の姿を演じているのを察してしまった彼女に想いを寄せる男の視点で描かれるある園遊会の風景「ギリシアの踊り子」。

 ブルジョアの青年が一時の情熱で愛した芸人の少女が病に冒された時、彼は心苦く思いながらも彼女を見捨てる。視力を失いながらも健気に歌に生きていた彼女に再会した彼がとった冷たい態度が、少女に悲しい行動を起こさせる「新しい歌」。

 深夜の市立公園で既知の学士に出会った男は、どこか妙な雰囲気の彼から話を聞かされる。それは役人として派遣された街で出逢ってしまった軍隊の大尉(男爵)の妻、美しい女レデゴンダとの不倫の恋の顛末。怪談のような不気味さをオチに持つ「レデゴンダの日記」。

 両親もなく学士の資格を持つ身軽な若者は身分の低い女と暮らしていたが、ある名家の女性との結婚の可能性が浮上して、関係を終わらせようとするも、つい未練でなかなか実行に移せないままに追い詰められて最後の手段に出る。晴れて独り身となった彼を待ち受けていたのは、皮肉な結末と相応の報いだった「情婦殺し」。

 繰り返すが、現代から見れば、メロドラマ(あるいは火サス?)ともいえそうな、禁断の恋愛に陶酔し、苦悩し、翻弄され、裏切り裏切られ、破滅や死を迎える男女の愛欲の物語である。
 (唯一「盲目のジェロニモとその兄」が、恋愛とは無縁の兄弟の悲劇を描いて、やや趣を異にしているが、これもまた「不信」という拭うことが難しく、むしろ言葉にすればするほどに深めてしまうどうにもできない負のジレンマと、富裕階級の悪意の(本人は自覚していない)残酷さという、人間の「心の闇」をついている点では共通している。)

 しかし、それがハプスブルグの栄光も翳り、新興勢力としてのブルジョアジーが台頭、経済原理が優先されて、旧弊な貴族主義の残影と新たな身分の発生という混沌とした階級差が渦巻く過渡期、表向きは上品で慎ましやかな前近代の道徳的規範と因習をまとい、その意識に縛られながら、そうしたものへの反発や、既成概念への打開の欲求、自我の発達などによる価値観のパラダイムシフトの中で、それゆえにより淫靡な形ではびこっていく悪徳と退廃に彩られたこの世紀末の都市ウィーンを背景に、舞台にした時、物語たちは俄然妖しく魅惑的な輝きを放つ。

 城壁が壊され、リンクが建設され、都市機能が美しく整えられていくウィーン、プラーターや市立公園などの遊興施設が整備されていく街、同時に変わらぬドナウの流れが滔々としたこの都市。
 新しい芸術活動が目覚め、時代にふさわしい表現が次々と生まれていった時期、女性が職業を持つようになり、自己を表現する手段と機会を得ていく時代、そしてフロイトによる深層心理の解明と精神病の定義の確立による、都市の憂鬱症や神経患者の増加、治安の乱れによる性病の蔓延…光と影がカオスの中でそれぞれにまぶしく、あるいは妖しくエネルギーを放っていた世紀末ウィーン。

 フロイトとも親交があったというシュニッツラー。
 それらの空気をたっぷりとその作品に含ませて、人間の心の動きに焦点を当て、根源的な欲望と人生の皮肉と儚さを、医者としての残酷なまでの冷静さと、作家としてのロマンティックな情緒と、新しい時代に生きる反逆精神を象徴するような挑発的な赤裸々な表現とを、まるでビロードの手触りのごとく繊細に、その光沢のごとく美しい短編にまとめ上げた世界は、実に自然に1900年前後のこの街へと私たちを案内してくれる魅力に満ちている。

 それぞれに自由な(?)恋愛を享受しながらも、結末には旧時代の因習やしきたりが彼らの不安や死といった悲劇的な結末を招いている、その意思だけではどうにもならない、見えない束縛が絡んでくるさじ加減もまさに新旧の価値観が混在していたこの時代性が存分に活かされている。 

 そこにはサスペンスあり、ホラーあり、エロティックで情動的でありながら、剃刀のような鋭さを失わず、悲哀と皮肉が程よくブレンドされている。
 山本氏の「シュニッツレル論」によれば、ぜひとも原文で読むべきらしいが(汗)、翻訳でもその世界感を感じさせてくれる。

 世界の大作家に並ぶ作品をましてやその名を残した作家ではないけれど、小さくても美しく輝き、その魅力に取り込まれ、ちょっと身を飾って見たい欲望にかられる輝石のような短編集。

 それは、愛してやまないクリムトやシーレ、ホフマンやモーザーといったアートの世界でも見られる、近代化の波に乗って独特の美と様式を生みながらも、大都市パリやロンドンとは異なり、どこか鄙びた洗練されきらない「ぽてっ」とした野暮ったさを漂わせるウィーン/ウィーンっ子の風情に通じ、なお愛おしく、嬉しくなる。

 山本氏は彼の作品をリキュールに譬える。
 食前か食後に、その甘さと香りとまったりした舌触りをちょっぴり。決してメインにはならないけれど、この密なる味を楽しむことを知る喜びは、ある意味メインのすばらしさに引けを取らない贅沢。
 けだし、名言。



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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

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