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今も生きる、矛盾を抱えて追い求めたもの ―『シュルレアリスム』―

『シュルレアリスム 終わりなき革命』 酒井 健 (中公新書)


 バタイユの翻訳で知られる酒井氏の、まさに同時代人であったバタイユから見たシュルレアリスム論。
 ブルトンの『宣言』や終戦後の対談、講演などを時系列に追いながら、20世紀に世界を巻き込み、その中心的な活動が終焉してなお21世紀の価値観や芸術活動の中にもその影響の影を排除することの難しいこの芸術運動を啓いていく好著となっている。

 ブルトンらの掲げるシュルレアリスムの理念とは激しく対立したことで知られるバタイユだが、だからこそ彼自身もシュルレアリスムに大きく触発され、期待を持ち、自身の創作活動、論理構築に励んでいたことを彼の述懐から引き、そこから照射されるブルトンの姿に、シュルレアリスムの持っていた意義と力、現代に生き続けるその理念を引き出している。

 第一次大戦の大量死と「ひと山」としてカウントされる人間性の喪失の理不尽と疎外感に「怒り」を感じた、“生き残った近代の若者たちの、時代に対する“否”から生まれたシュルレアリスム。
 合理性を重んじる近代を否定し、理性と野性を超えたところに自己の存在価値を、新たな芸術を生みだし、それにより近代を革新することを求めた彼らの情熱は、ダダから始まり、その革新的な概念に触発されたブルトンによりフランスで提唱される。

 この時代性とブルトンの影響力と行動力なくしてはあり得なかったシュルレアリスムの誕生と活動の位置づけを、都市と政治の側面で切り取った全4章。

 戦争体験を通じ、その無残で無意味な死の恐怖と、同時にそれと背中合わせに体験した現実を超えた美と陶酔を味わった若者たちの回想、それはユンガーのように一方では労働としての戦争を近代のシステムとして受容/賛美していく方向に、そしてもう一方ではマッソンのように近代文明に傷つき、懐疑を持ってその束縛と狭量から逃れていく途を探し出す方向に二分される。

 その中で、ブルトンもまた、医師として従軍したその経験から、近代の自我を超え、別の現実を生みだす行動へと駆り立てられていく。そこには、早くからフロイトの精神分析や『夢判断』を学び、ランボーの詩に傾倒していた彼の医師であり詩人であった感性が土壌として横たわっている。
 しかし精神科医として見てきた患者たちの、束縛のない、現実性を欠いた世界に惹かれながらも、その狂気に取り込まれることには、大きな恐怖と忌避を持っていた彼のスタンスは、その後のシュルレアリスムに集ったグループに対する彼の寛容と狭量の矛盾したワンマンぶりをすでに予見していた。
 それは同時に、近代の申し子として生まれた彼らの世代が、近代を超克しようとしながらも、近代人としての在り方に引き戻される、否応のない環境と根深い意識に捕らわれている現実とも重なってくる。

 オートマティスムの詩作にまつわる推敲の事実、ブルトンの掲げる夢とフロイトの追求した夢の深層の違い、自我という精神の肯定と否定、こうした危ういともいえそうな一線を画しながら、偶然性と多様性を求めつつ、近代的な美と唯一性をも肯定する彼の理念が、その微妙な一線ゆえに、触発され、影響を受けたアーティストたちにとって、各自がそれぞれの価値観と認識の元に、ラインを定めて消化していく余地を与えたことは当然の帰結であったし、破壊にすべてを委ね、その遊戯性と虚無性に意味を見いだしていたダダと決別していくことも、また必然であった。

 とはいえ、その現実と超現実との、偶然性の、とても些細な亀裂や「はざま」を拾い上げて表現として表していこうとするその概念自体は、この時代にとても画期的であり、インパクトのある宣言として、若い表現者たちに熱狂的に受け入れられた。
 本書は同時にその魅力とパワーを損なうことなく、ブルトンが、そしてシュルレアリスムが内包していた矛盾をみごとに描き出している。 
 
 そして近代を革新し、狭義の個を否定して人種や国家を超えて人類に共有できる新たなる価値の世界を構築していこうとしたこの活動が、政治的に共産党へと接近したものの、スターリンの時代になった時に、その確立した政治体制ゆえに硬直した教義となった共産党と対立していく過程が、バタイユが注目し続け、そして彼らに期待した革命の姿との齟齬とともに提示される時、そうした接近と反目に、やはり近代の意識を残しながらも、そこをすり抜けていくシュルレアリスムの世界が、ひとつの明確な輪郭を以って啓かれていく。

 複製芸術の価値を認め、世界にひとつの作品の持つアウラが消えていく近代を捉えたベンヤミがシュルレアリスムに求めた一面は、労働者層を巻き込んでの大きな政治的革命だった。
 一方ブルトンの目指した革命は、理念としてはその要素を持ちながらも、あくまでも近代に根ざした美学的で、唯一性の高い芸術の世界から発信する「衝撃」であり、「デペイズマン」の驚きであり、精神における変革だった。

 ここでもまた、グループとして集い、活動に参加した人々のスタンスや意識によって、さまざまに分離・離反していく可能性を内在していた。

 ブルトンが、後にグループからの除名や、発行している雑誌上におけるあられもない批判を行ったのも、彼の掲げる「シュルレアリスム」の枠組みを守ろうとした、その本能的な防衛だったのだろう。

 それは見方を変えれば、それほどにシュルレアリスムの概念とこの活動の持つ意味の大きさ、エネルギーが強大であったことを浮かび上がらせ、当時にとどまらず、今でもさまざまにその境界線を変え、人々を揺さぶる革新性を保ち続けていることを明らかにする。

 「終わりなき革命」、まさに彼らがどんな意識で作品を生みだしていったのか、当時の政治、社会、文化のプリズムを通して、今も私たちが観ることのできるそれらを紹介しつつ(まさに『シュルレアリスム展』でも来日していたものたち♪)、今へと繋げていく語りは、活き活きとして刺激的なシュルレアリスム論だ。

 なんとなく感じていたことを改めて(実感として)確認でき、シュルレアリスムの周囲で眼差しを向けていた人々に対するたな視点を得られる、コンパクトで、分かりやすいのに、とても内容の濃い、おススメの一冊。



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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

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