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春の海に集った天才たちの文化革命 ―『天地明察』―

『天地明察』 冲方 丁 (角川グループパブリッシング)


 2010年本屋さん大賞受賞作。
 古書でお買い得を見つけ、やっと読了(笑)。

 江戸開闢より4代目家綱の時代、戦国の空気も抜け世が安定期に入ったころ、それは、振袖火事により焼け落ちた江戸城の天守閣が再建されなかったことに象徴されるように、この東国の都市を中心に、武士の、政治の在り方が、ひとつのパラダイムシフトを迎えていた時代。

 将軍家の囲碁方として、4大勢力のひとつを担う安井家の嫡男に生まれた算哲は、受け継いだ囲碁の才を極めるよりも、算術や天文学に興味を示す。父の早世後、叔父に家督を渡し、本流から外れたところでお気楽なお役人をしつつ、囲碁方として生涯を全うすることにもなんとなく違和感を持っていた彼は、己のそんな浮草的な気分を表して、自らを渋川春海と名乗り、本当に自身の情熱を賭けるものを模索している。

 20代の時に、とある算術の解題が書かれた絵馬に鮮やかな回答を付した人物の存在を知り、その才を称え、かつ触発されて、算術の道へと傾斜していく。その人物と既知を得るために、名指しで解題を出すも、そもそもが解明不能な設問だったことを知るに至り、自らの未熟と公表した恥ずかしさに、切腹まで思い詰めることになる。
 彼こそが関孝和、和算の父と言われた江戸きっての数学者で、春海と同い年の天才だった。彼もまた、この「無術」の奥に、春海の天才を視ていたのだった。

 そんなことを知らぬ失意の春海に、武士の身分ではないのに帯刀を課した老中酒井から命ぜられた仕事は、日本を横断しての天文の観測への同道だった。観測の中心人物であった二人の老学者の、生涯を天体観測に捧げた雄大な目標と情熱に感銘を受けた彼は、自分の解題のミスへの羞恥も癒え、囲碁のライバル本因坊道策の熱烈な挑戦も袖にして、自身の天命をそこに見出しながら、偉大な算術家 関にも改めて挑戦する気概を復活させる。

 そこで彼に新たな命が下される。それこそがこれまでの大陸の算定に基づいていた暦から離れ、日本独自の暦を創出するという、日本の文化を、そしてそこに生きるすべての人間の生活を変える一大プロジェクトだった――。

 大老酒井、水戸光圀、関孝和、村瀬義益から、将軍綱吉、帝の陰陽師 土御門泰福(やすとみ)など、時の権力者や名を馳せた天才たちに支えられ、巻き込んで、春海の20年に渡る、和暦の創設のための、奮闘と挫折、苦渋と歓びを描いた歴史物語。

 「歴史」的には戦国武士や徳川将軍、武士などのように著名ではない、いわば文官のはしりと言える渋いセクションにいた渋川春海(きっと安井算哲の方が知られているのでは…)に、血肉を与え、その数学に魅せられた天才の生涯が、静かな熱さを以って描かれている。

 この春海、とにかくボンボン育ちのおっとり、文人らしい軟弱さと飄々とした人のよさでもって、よく泣く、よく慌てる、よく落ち込む。生涯を追う歴史小説の主人公としては、はなはだ頼りなく、不器用で、地味だ(笑)。
 しかし、算術に対するプライドと、天文に、暦に魅せられた情熱は、誰よりも高く、熱く、そして才ある人物として造形されている。
 このバランスが自らにつけた名前に象徴されるように春の海のごとく、ぼんやりとして、やさしく、そして雄大さを感じさせる。その彼の人柄と才能に惹かれ、期待し、協力していく有名人たちが実に自然にプロジェクトの実現へと集約していく流れが、なんとも温かく面白く、心地よい。
 彼をしっかりと理解し、支えていく対照的な二人の妻も、後妻の「えん」がメインながら、なかなかに魅力的だ。

 暦を変えることが、日本の政治や生活にとってどれほどに大きな影響をもたらすか、幕府為政者の視点、庶民の生活の視点、暦を発行する寺社の経済的視点、そして朝廷の権威、などあらゆる側面から語られているのは、普段それほど意識せずに日を追っているだけの私には、改めて示唆に富んでいた。

 数学や暦の歴史に詳しい読者の一部批評には、引用される解題や、地動説の理解の時期など、あちこちに誤謬があるらしいのだが、そもそもに数字に弱く、意識も低い私には、その矛盾よりも物語としての楽しさの方が勝っていた。

 惜しむとすれば、春海が憧れ、尊敬し、嫉妬し、対抗意識も持っていた関孝和の存在が、彼の中で(そして和算という歴史的にも)とても大きいものでありながら、暦のプロジェクトにはあくまでも影的存在としてしか登場しないため、なんとなく薄いものになってしまっているかな、と。
 これは暦の改編とその主たる推進人物であった春海の物語だから仕方がないのだが、他の人物も、頼もしく魅力はありながら、それほどの深みは持っていない。

 それゆえに一冊にととても上手くまとまっており、挫折や失敗を繰り返して人間的にも成長した春海が、策を弄して一度却下された暦の採用検討を復活させていくくだりなどは、それまでの長い研究と思考錯誤の流れから一転して、スピード感とスリルにあふれ、一気に読ませる。
 ただ、いずれもが個性的な余韻をもって創られているので、もう少し彼らの肉付けが欲しくなってしまうのだ。

 個人的に最もよかったのは、春海にすべてを託して去っていく老研究者の建部昌明と伊藤重孝だ。
 まさに仙人のごとく飄々として、子どものように無邪気に、そしてその英才を大きな夢に捧げて、一生涯天文を楽しんだ好々爺、本当に魅力的で、彼らと春海との「頼みましたよ」と「頼まれました」のやりとりと、二人の臨終のシーンには、思わずホロリと…(笑)。 
  
 『ばいばい、アース』『マルドゥック』シリーズなどの、熱く、エグく、激しいSFストーリー展開からはとても同じ作者とは思えない、軽やかで爽やかな時代小説。
 とはいえ描かれた世界は、天才たちの頭脳の協働と闘いという、凡人には遠大な世界における、永遠に冷めない熱く激しい情熱が成就させた、ひとつの革命だった。

 「天地明察」。
 このひと言のために、自分の20年を、かけがえのない頭脳たちを費やした晴海の涙(ホントによく泣く;笑)は、この4文字のごとく、くっきりとしてすがすがしい。

 くどいほどに、運命に立ち向かい、宿命を受け入れながらもそこに「?」を持ち続け、自己の“存在意義”を追求し、闘い獲る人間を描くことが多かった氏のこれまでの作品と、外から与えられた使命に“意義”を見いだし、己の才のすべてを賭けてそれを成し遂げていくこの作品、マグマのような熱気と春の海風のような爽やかさに対比されながらも、流れるものは同じかもしれない。

 さて、本書でなかなかに強烈な性格に描かれていて楽しかった水戸光圀、次回は彼の肉付けが計画されているという。 
 現代に描かれる「時代もの」の新しい表現として、こんな軽やかさもありじゃないか、と思わされた氏の歴史ロマン、ハード・コアSF『マルドゥック・アノニマス』とともに期待したい♪


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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

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読まれましたネ。

この「天地明察」・・・chat_noirさん好みでした?
物足りなかったのではないですか?
大きなウネリがあったわけでもないし、まさに「春の海」^^
ゆったりしすぎて、まさに私向き!?
主人公の渋川春海に負けてないのが、彼をとりまく人々。
とっても興味深い。
水戸光圀しかり、関孝和しかり、二人の老学者しかり。
くえない(?)大老酒井などなど・・^^
若かりし頃の水戸光圀を描いた続編(?)が出版されるんですか?
それは楽しみです。あの剛毅な光圀に是非会ってみたいもんです。

ところで台風大丈夫でしたか?もしかしてまた帰宅難民??

Re: はい。ようやく(笑)

あんごま きなこさま

こんばんは!
遅まきながら、やっと読了しました(汗)。

面白かったです!
ここまで渋い主人公を、ここまで静かな筋書きで描いた「時代もの」、
よたよたした(笑)主人公を一生懸命応援してました。

ただ、知識人たちの見えない情熱の闘いが、その熱さを通底させながらも、
激しさを抑えて、おおらかに綴られているのが、
あまりに作者のこれまでの作風と異なっている方に意識が…(笑)

読後のさわやかさが、私の中であんごま きなこさんに繋がってます^^

そうなんですよね、周囲の人間の造形がなかなか曲者なので、
個人的にはもう少し彼らの肉付けがほしかったな、と(欲張り)。
彼はキャラクター作りがいつも上手いですね。

私も友人から聞いたのですが、どうやら光圀で創作中らしいです。
どうしてもテレビの「ご隠居」の印象(苦)が強く、
若き日を想像できないこの人物をどう描き出すか、楽しみですよね!

あちこちに被害を及ぼした台風、お心遣いありがとうございます(泣)。
なぜか、長蛇の列になっている人々をしり目に、
あっけなくバスに乗れ、マンガを読みながら(!)帰宅しました。
あきらめてどこかで読書でも、と思っていたのですが。

都心は本当に脆弱です…。そして非常事態に人々が余計なパニックを
引き起こしているような。

いつもご訪問&温かいコメントをありがとうございます。
読んだものもたまり、もっとアップしたいのですが、
このところちょっと“作文”が不調で…。
「読書の秋」ですし、コメント励みにガンバリます~
本当に感謝しております。

もう 読まれました?

ご無沙汰しております。お変わりないですか?

「天地明察」で強烈(?)な個性を発揮していた
徳川光圀を描いた 冲方丁氏の『光圀伝』もう読まれました?
 
私はいつものように 図書館から借りてきました。
読みかけですが、グイグイ引き込まれてます。
ちょっとテンションが落ちそうな時に
見知った人物を登場させるテクニック(?)など上手いなあと
冲方氏の術中に嵌まってます。

天地明察もそうでしたが
冲方ワールドは読んでいて(表現が変ですが)心地いいのです。
かなりドギツイ場面もあるのですが・・・

そのうち、あの安井算哲殿や保科正之様も登場するようです。
熱く激しい光圀が、保科氏とどのように絡むのか・・・
楽しみです。(保科正之氏の隠れファンなので)

この一冊も「天地明察」同様手許におくことになるでしょう。

多分、chat_noirさんも気になってる一冊ではないかと・・・
まだ途中ですが、お勧めマークいっぱいです。

Re: まだです~;泣

あんごま きなこ さま

大変ご無沙汰しております。
10月から職場環境が変わり、毎日バタバタとあわただしく、
気づいたら、またおサボりモードに…。

返信遅くなりまして大変失礼いたしました。

『光圀伝』…発売日に入手したものの、積読に埋もれてます…(汗)。

冲方氏のSF作品のアニメ映画はなんとか観に行ったのですが、
それもアップできておらず。
(最終章だったのですがやや残念な感じ)

氏の文章はリズムをきちんと考えていますよね。
だからそのリズムに合うとサクサクと心地よく入れますよね。
SFのハードな感じもよいです。
(たまに感情が先走るようなところも;笑)

「熱く激しい光圀」は早く読めるようにちょっとがんばります!

いつもお心に留めていただき、ほんとうにありがとうございます。
ややもすると挫折しそうになっているこの頃ですが、
とても励みになります。
もう少し仕事のペースがつかめたら、また徐々にアップしていきます。
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