光と動きを追い続けたマルチ・アーティスト ―『モホイ=ナジ/イン・モーション展』
『視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション展』 (川村記念美術館)

バウハウス時代の写真作品からとても好きなモホイ=ナジ。
その油彩作品は、線と面と点の組み合わせが不思議な空間を二次元に生み出しながらも、決して「上手い」画家とは言えないし、カンディンスキーやクレーのような音楽的な美しさも持たないものが多いのだけれど、その禁欲的なまでに削ぎ落とされた空間の、鋭く緊張感あふれ、それでいて軽やかな楽しさを持つ画面にはいつもにんまりとしてしまう。
どこが、という明確な言語化がいまひとつできない、けれどなぜか惹かれるモホイ=ナジ。
うっかり夏の神奈川県立近代美術館葉山の会期を逃し、カタログも完売と聞いて大ショックを受けたものの、佐倉の川村記念に巡回すると知った時の喜びたるや。
ここには彼の(奇妙な;笑)油彩も所蔵されているし、久しぶりに遠足となった。
ハンガリーに生まれ、ドイツ バウハウスで教鞭を取り、絵画、写真、彫刻、グラフィック、映画と多分野において実験的な活動を残して、戦後はアメリカ シカゴで「ニュー・バウハウス」の、さらにはその後身である「スクール・オブ・デザイン」の校長として美術教育に携わり、多くの教育的芸術論を残した彼の、最初期のデッサンや油彩を含む回顧展。
解説いわく、日本で最初の本格的なものなのだそうだ。
いま、なぜナジ展なのか、そのモチベーションはいまいちよく分からないが、とにかく大好きなナジの軌跡を概観できるなんて…と、すでに会場に行く前からそわそわした状態で、遠路も苦にならない現金さ。
川村記念は毎回常設展示を楽しんでから、企画展に入る造りとなっている。
相変わらずの充実した所蔵品の数々との再会を喜び、初めてとなる新規ロスコ・ルームで静謐な時間を過ごし(この辺あたり常設についてはまたいつか…;笑)、会場へ。
入口のタイトルは、透明なアクリル板に黒く載せられた文字が、下の白い壁にライトで映りこむように造られていて、かっこいい。
展示構成は時系列を基本に5章、彼が携わった各メディウムにまとめる形で進んでいく。
Ⅰ章 ブタペスト1917-1919:芸術家への道
父の失踪、叔父の元での成長と、あまり家庭に恵まれていなった彼は早くからその心情を小説や詩にする早熟な子供だったようだ。
第一次大戦に従軍した折に、支給されるハガキに軍隊の情景や兵士たちの日々を写しとって友人に送っていたことで、兵役終了後、本格的に芸術家への道を歩むようになる。
ここにはその従軍時代のハガキ作品から、やがてハンガリーのハプスブルグからの独立を目指す革命運動にリンクした芸術活動である「MA」のメンバーと交流しつつ、自分の表現を模索していったようすがうかがえる作品が並ぶ。
ハガキは、気負いなく、けれど的確な線で輪郭を捉えられた兵舎や仲間の兵士たちや戦地の住民の姿などが小さな画面に自由に描かれており、あまり戦争の過酷さを感じさせるものではない。カラフルな色えんぴつで彩色されたそれらからは、描くことを楽しんでいるのが伝わってくる。
帰国後に始めたと思われる自画像をはじめとするデッサンは、近しい人々を太く力強い線であらわし、ちょっとシーレを思い出させるような、表現主義的な雰囲気を醸し出している。
ただ、こうした激しさを伴う表現主義的な作品の中にも、後の彼が直線と曲線と、そこに当てられる光の織りなすイリュージョンを追求したことを先取りしたかのように、彼が捉える人々の姿は、たくさんの球体の連続で構成され、風景画は強烈な直線の組み合わせで、早くも構成主義的な傾向が観てとれる。
Ⅱ章 ベルリン 1920-1922:ダダから構成主義へ
「MA」の活動家たちを含む社会主義革命の挫折後、それぞれのアーティストは、ウィーンやドイツへと逃れる。ベルリンへ移住したナジは、ダダとロシア構成主義の影響を受け、次第に抽象的な作品やコラージュなどの作品へと傾斜していく。
表現主義的な表現からキュビスムを経てつつ、ロシア構成主義のアーティストたちを彷彿とさせる舞台美術デザイン(デザイン自体はやや表現主義的なテイストだが)、デ・スティルの色彩と矩形のバランス、そして線と面で構成される抽象表現へ、さらには、写真というメディウムを使って、金属やガラスの質感を、そしてそこに反射/投影される“光”そのものを捉えていくような作品へと移行していく過程を観られる章。
そこには同時に常に共産主義社会の理想と、プロレタリアートのための芸術としてのダイナミズムを追求する、彼らしい政治的な意識が存在していたことが、当時に「宣言」として刊行された数々の著作から窺うこともできる。
初期の肖像デッサンでは≪座る女≫が、目を閉じ手を膝で組んで座る女を幾重にも覆う黒いギザギザの線描で埋め、頭部だけに空間を残した姿に描き、これがまるでニンブスを背負う聖女のようできれい。
そこから”円”の持つ動的で内在的なエネルギーと、直線の持つ鋭角的で抑止的なストイックさが画面にみごとな均衡と空間と、そこに内包されるパワーを持つ作品の数々が生み出されていく。
この時代の版画や油彩の持つシンプルな美しさと眼に入ってくる時の心地よさが本当に好きだ。
白いカンヴァスに太い黒線を縦に引き、細くて小さな赤と黄と黒でクロスを構成した一枚≪エナメルの構成≫など、うっとりしてしまう。
≪円と面≫あるいは≪無題(構成)≫と題されたリノカットや木版の作品たちも、いつ観ても「ピシリ」と収まっていながら、同時にメカニックに動き出すような力学を纏っていて飽きない。
そして写真作品!
カメラを使用せず、印画紙に直接対象を感光させる「フォトグラム」の実験の数々は、まるで揺らめく光そのものを捉えようとしているかのような実験的な作品たちだ。(そして成功している!)
観ているとそのまま一緒に微妙な光の揺らぎにこちらの体がシンクロしていきそうな、あるいは次の瞬間に画面が動くのではないか、と思われて、眼が離せなくなる。
同時にこれらの作品からは「光の音」が聴こえてくる。
あるものはサラサラと、またあるものはチャリンチャリンと、時にはリンリンと、時にはパタパタと、あるいはフィルムが廻るような音、金属が触れ合うような音、タイプライターのような音…そこに写しとられた対象が見せるイリュージョンと、そのものが持っている(であろう)質感と、光が織りなすコラボレーションが、一枚の画面の中に閉じ込められている。
ああ、だから楽しくなってくるんだな、と。
具体的な人物や風景を写した作品でも、マン・レイいうところのソラリゼーション手法により、反転させることで、非日常的な趣を出したもの、光とその光が生む影を特徴的に捉えたものが多く、ナジが何を追求しかったのかがとてもよく分かる展示だ。
Ⅲ章 ワイマール―デッサウ 1923-1928:視覚の実験
ハンガリーを代表する構成主義芸術家として認められていたナジが、グロピウスの招聘に応じてバウハウスで教鞭をとっていた時代の作品が並ぶ。
時期的にはイッテンやクレーの後任としてグロピウスの辞任までの期間だが、意欲的な学生たちと、バウハウスの理念に基づいた創造的な環境は、ナジにとっては理想的だったことだろう、この時期の作品は、より突き詰め、彫刻や映像作品など、より多様な実験に手を広げており、彼の光と動きの追求は、より時代のテクノロジーと結びついて、多岐にわたり、深くなっていったことが感じられる。
そもそも初めて彼の作品と出逢ったのがこの時期のものだったので、先のⅡ章と並び楽しくて仕方がない。
「フォトグラム」の作品も、構成的にも作品的にもより完成度が高くなり、ひとつの作品と美しさをも獲得していく。同時にこの頃から始められたフォト・コラージュ作品も、政治批判的なものはもちろんだが、あまりそれまでの彼には感じられないエロティックさを持ったものが生まれていて、興味深い。
いくつかある風景や人物の写真も、背景の壁やビル、映り込む影を非常に構成的に捉えており、彼の眼が常に画面構成を強く意識していたことが分かる。
そしてここでの(そして今回の)注目作品が、≪ライト・スペース・モデュレータ≫。
さまざまな形の金属とガラスを組み合わせた三次元作品は、当時のテクノロジーの産物をフルに活用し、電動で動く機械仕掛けのキネティック彫刻だ。
いくつかの展覧会でこの写真展示や、動かした時の映像に触れる機会はあったが、この会場では実物を観られるのみならず、実際に動き、そこに照明が当てられたときに光がどのように移り変わっていくかを体験できる。
30分毎に2分間だけ、という限定つきであるが、この2分間のためにも来る価値がある。
大写しにされる映像作品もキラキラと変転する感じは楽しめるが、そこでその対象そのものの動きを、反射も含めて体感できるのは、また新たな感覚の刺激を得られる。
止まっている時のこの立体は、なんともアンバランスで奇妙なオブジェなのだが、それが回転した時、それぞれの役割が実にみごとに陰影と動き(光にも立体そのものにも)を生みだしていくのを味わえる。
これはぜひ一度、おススメの空間だ。
Ⅳ章 ベルリン―ロンドン 1928-1937:舞台美術、広告デザイン、写真、映画
バウハウスを去ってからのナジは、ベルリンで舞台美術や広告のデザインなどを手掛けながらヨーロッパ各地を旅していたが、やがてナチスの台頭によりロンドンへ逃れ、そこで新たにデザイン、映画、そしてカメラを使用した写真など、新たな表現の分野へと手を広げていく。
ここではやはり写真がよい。
「フォトグラム」ほどに構成的で実験的なものではない、いわゆる“写真”だが、ベルリンのラジオ塔から俯瞰でとった敷地内の雪と雪かきをした道≪無題≫の黒白の対比、バルコニーの格子を通して、ビルの鉄柵を通して写された≪俯瞰(街)≫の近景と遠景のバランス、旅先の風景としての≪無題(スカンジナビアの港)≫≪ヘルシンキ≫の画面の区切り方には、それまでの彼の構成主義的な構図のトリミングが十全に活かされている。
一方、イギリスに渡ってからの写真は、街をゆく人々やショウウィンドウ、イートン校の学生、市場の一角にいる猫、など、これまでには比較的抑制されていた抒情性を強く出したものが多くなっているのもよい。
舞台美術作品では、残っているのは写真の記録だけながら、『蝶々夫人』のものが、鳥居、灯篭、太鼓橋、藤棚といった日本を象徴する記号を散りばめながら、そうした小物たちが照明によって生み出す影を効果的に使用しているのが分かる。
また『来るべき世界』のものは、(ナジの案は不採用だったようだが)実際に造られたコルダのもの(写真)が展示されおり、彼らの交流を思わせるとともに、もうひとりの、もうひとつの光と空気を追求したアーティストの作品を比較して観られるのが嬉しい。
映像作品も充実している。
『マルセイユの港町』、『ベルリンの静物』、『大都会のジプシー』、『新建築とロンドンの動物園』、『ロブスターの一生』、『建築家会議』の6篇を上映してくれている。
ちょっとすべてを観る気力はなかったのだが(会場が寒くて…)、『ベルリンの静物』では、路面電車や自動車、人々が暮らす居住区へのパッサージュ(といっていいのか…?)など近代化されるベルリンの風景が、『新建築とロンドンの動物園』では、現在でも画期的な構造を持っているように思われるロンドンの動物園の象やゴリラ、ペンギンの施設が、やはりレールや建築物の直線と曲線の構成、そこにたわむれる光と影のムーヴメントを追う視線で捉えられていることが見えてくる。
『ロブスターの一生』は、独りで漁に向かう老齢の漁師の姿を情緒を添えて追いながら、ロブスターそのものはとても科学的に記録され、今でも充分に子供たちに見せたい面白くためになる内容にまとめられている。最後にロブスター料理のメニューの向こうからその大きなハサミで破って乗りだしてくるロブスターの映像は、どことなくダダ的な雰囲気も残していて、茶目っけたっぷり。
茶目っけといえば、広告デザインとしての≪紳士用上着の形をした宣伝用リーフレット≫だろう。
タイトルのごとく背広の形をしたパンフレットの前身ごろを開くと、中にセールスポイントが記載されたリーフレットが現われる。赤と黒で統一された内部のデザインも洗練されていて、楽しさと高級感の両方を上手く伝えている。新しく、魅力的なPRツールだ!
バウハウスを去って後、アメリカに渡るまでの間についてはあまりその活動を知らなかったので、個人的にはとても新鮮で興味深い1章。
Ⅴ章 シカゴ 1937-1946 アメリカに渡ったモダンアートの思想
先に渡米していたグロピウスに推薦され、シカゴで「ニュー・バウハウス」の校長に就任するも、その高い理念が経営陣と合わず(このあたり、“ビジネス”としてのアメリカらしい対立かな、と;笑)、一年で閉校した後、改めて自ら「スクール・オブ・デザイン」として再建、白血病でその命が尽きるまで、「学校ではなく実験場」としてのスクールで多くのデザイナーやアーティストの育成と、自身の造形のさらなる創造と拡大を続けた晩年が観られる。
平面における線と面の構成はより軽やかに自由に大らかになり、写真作品はよりやわらかさをまとい、本格的に始めたカラー写真では夜のネオンサインやヘッドライトの光の動きを活き活きと捉えている。

ここに、当館が所蔵している≪スペース・モデュレータ≫が同タイトルのいくつかの作品と並んだ時、なんとも“奇妙な”と思っていたこの作品が異なる厚みと表象を以って立ち現われる。
一貫してメカニカルなテクノロジーによる動きと光とを追い、それらを“空間(スペース)”に捉えて構成し続け、科学と芸術との融合に幸せな実験を貫いたモホリ=ナジの、あらゆるジャンルを越境した軌跡の最後には、カラー写真で残した家族や身近な人々のスナップ写真が展示され、もうひとつの私的で詩的な彼の作品に触れられる。
説明もなく、動きもない、ただスライドが自動的に差し替わる「カシャッ」という音だけが規則的に繰り返されるこのコーナーを以ってのエンディングは、ゆえにこそ彼の終わりのない「アート」の実験と、バウハウス叢書をはじめとする多くの教育書に結実した芸術理論の意義を強く印象づけるように感じられた。
現代ではあたり前となっている電動オブジェや動画、写真や広告といった作品たちは、にも関わらずいまなお画期的で、構成美にうっとりし、実験の楽しさにあふれてワクワクさせられる。その魅力とエネルギーは健在だ。
新たなテクノロジーの時代を迎えつつある今、こうした“実験ごころ”の在り方こそ、これからの芸術表現にとっての示唆に富んだなによりの指南書となるのかもしれない。
晩年の油彩のどことなく不器用な感じの愛らしさも含め、やっぱり惹かれるアーティスト、ナジ。
並べることで満足している『バウハウス叢書』や『ザ・ニュー・ビジョン』、“ちゃんと読めよ”というアテンションかな…(汗)。

バウハウス時代の写真作品からとても好きなモホイ=ナジ。
その油彩作品は、線と面と点の組み合わせが不思議な空間を二次元に生み出しながらも、決して「上手い」画家とは言えないし、カンディンスキーやクレーのような音楽的な美しさも持たないものが多いのだけれど、その禁欲的なまでに削ぎ落とされた空間の、鋭く緊張感あふれ、それでいて軽やかな楽しさを持つ画面にはいつもにんまりとしてしまう。
どこが、という明確な言語化がいまひとつできない、けれどなぜか惹かれるモホイ=ナジ。
うっかり夏の神奈川県立近代美術館葉山の会期を逃し、カタログも完売と聞いて大ショックを受けたものの、佐倉の川村記念に巡回すると知った時の喜びたるや。
ここには彼の(奇妙な;笑)油彩も所蔵されているし、久しぶりに遠足となった。
ハンガリーに生まれ、ドイツ バウハウスで教鞭を取り、絵画、写真、彫刻、グラフィック、映画と多分野において実験的な活動を残して、戦後はアメリカ シカゴで「ニュー・バウハウス」の、さらにはその後身である「スクール・オブ・デザイン」の校長として美術教育に携わり、多くの教育的芸術論を残した彼の、最初期のデッサンや油彩を含む回顧展。
解説いわく、日本で最初の本格的なものなのだそうだ。
いま、なぜナジ展なのか、そのモチベーションはいまいちよく分からないが、とにかく大好きなナジの軌跡を概観できるなんて…と、すでに会場に行く前からそわそわした状態で、遠路も苦にならない現金さ。
川村記念は毎回常設展示を楽しんでから、企画展に入る造りとなっている。
相変わらずの充実した所蔵品の数々との再会を喜び、初めてとなる新規ロスコ・ルームで静謐な時間を過ごし(この辺あたり常設についてはまたいつか…;笑)、会場へ。
入口のタイトルは、透明なアクリル板に黒く載せられた文字が、下の白い壁にライトで映りこむように造られていて、かっこいい。
展示構成は時系列を基本に5章、彼が携わった各メディウムにまとめる形で進んでいく。
Ⅰ章 ブタペスト1917-1919:芸術家への道
父の失踪、叔父の元での成長と、あまり家庭に恵まれていなった彼は早くからその心情を小説や詩にする早熟な子供だったようだ。
第一次大戦に従軍した折に、支給されるハガキに軍隊の情景や兵士たちの日々を写しとって友人に送っていたことで、兵役終了後、本格的に芸術家への道を歩むようになる。
ここにはその従軍時代のハガキ作品から、やがてハンガリーのハプスブルグからの独立を目指す革命運動にリンクした芸術活動である「MA」のメンバーと交流しつつ、自分の表現を模索していったようすがうかがえる作品が並ぶ。
ハガキは、気負いなく、けれど的確な線で輪郭を捉えられた兵舎や仲間の兵士たちや戦地の住民の姿などが小さな画面に自由に描かれており、あまり戦争の過酷さを感じさせるものではない。カラフルな色えんぴつで彩色されたそれらからは、描くことを楽しんでいるのが伝わってくる。


Ⅱ章 ベルリン 1920-1922:ダダから構成主義へ
「MA」の活動家たちを含む社会主義革命の挫折後、それぞれのアーティストは、ウィーンやドイツへと逃れる。ベルリンへ移住したナジは、ダダとロシア構成主義の影響を受け、次第に抽象的な作品やコラージュなどの作品へと傾斜していく。
表現主義的な表現からキュビスムを経てつつ、ロシア構成主義のアーティストたちを彷彿とさせる舞台美術デザイン(デザイン自体はやや表現主義的なテイストだが)、デ・スティルの色彩と矩形のバランス、そして線と面で構成される抽象表現へ、さらには、写真というメディウムを使って、金属やガラスの質感を、そしてそこに反射/投影される“光”そのものを捉えていくような作品へと移行していく過程を観られる章。
そこには同時に常に共産主義社会の理想と、プロレタリアートのための芸術としてのダイナミズムを追求する、彼らしい政治的な意識が存在していたことが、当時に「宣言」として刊行された数々の著作から窺うこともできる。
初期の肖像デッサンでは≪座る女≫が、目を閉じ手を膝で組んで座る女を幾重にも覆う黒いギザギザの線描で埋め、頭部だけに空間を残した姿に描き、これがまるでニンブスを背負う聖女のようできれい。
そこから”円”の持つ動的で内在的なエネルギーと、直線の持つ鋭角的で抑止的なストイックさが画面にみごとな均衡と空間と、そこに内包されるパワーを持つ作品の数々が生み出されていく。
この時代の版画や油彩の持つシンプルな美しさと眼に入ってくる時の心地よさが本当に好きだ。
白いカンヴァスに太い黒線を縦に引き、細くて小さな赤と黄と黒でクロスを構成した一枚≪エナメルの構成≫など、うっとりしてしまう。
≪円と面≫あるいは≪無題(構成)≫と題されたリノカットや木版の作品たちも、いつ観ても「ピシリ」と収まっていながら、同時にメカニックに動き出すような力学を纏っていて飽きない。
そして写真作品!


同時にこれらの作品からは「光の音」が聴こえてくる。
あるものはサラサラと、またあるものはチャリンチャリンと、時にはリンリンと、時にはパタパタと、あるいはフィルムが廻るような音、金属が触れ合うような音、タイプライターのような音…そこに写しとられた対象が見せるイリュージョンと、そのものが持っている(であろう)質感と、光が織りなすコラボレーションが、一枚の画面の中に閉じ込められている。
ああ、だから楽しくなってくるんだな、と。
具体的な人物や風景を写した作品でも、マン・レイいうところのソラリゼーション手法により、反転させることで、非日常的な趣を出したもの、光とその光が生む影を特徴的に捉えたものが多く、ナジが何を追求しかったのかがとてもよく分かる展示だ。
Ⅲ章 ワイマール―デッサウ 1923-1928:視覚の実験
ハンガリーを代表する構成主義芸術家として認められていたナジが、グロピウスの招聘に応じてバウハウスで教鞭をとっていた時代の作品が並ぶ。
時期的にはイッテンやクレーの後任としてグロピウスの辞任までの期間だが、意欲的な学生たちと、バウハウスの理念に基づいた創造的な環境は、ナジにとっては理想的だったことだろう、この時期の作品は、より突き詰め、彫刻や映像作品など、より多様な実験に手を広げており、彼の光と動きの追求は、より時代のテクノロジーと結びついて、多岐にわたり、深くなっていったことが感じられる。
そもそも初めて彼の作品と出逢ったのがこの時期のものだったので、先のⅡ章と並び楽しくて仕方がない。
「フォトグラム」の作品も、構成的にも作品的にもより完成度が高くなり、ひとつの作品と美しさをも獲得していく。同時にこの頃から始められたフォト・コラージュ作品も、政治批判的なものはもちろんだが、あまりそれまでの彼には感じられないエロティックさを持ったものが生まれていて、興味深い。
いくつかある風景や人物の写真も、背景の壁やビル、映り込む影を非常に構成的に捉えており、彼の眼が常に画面構成を強く意識していたことが分かる。

さまざまな形の金属とガラスを組み合わせた三次元作品は、当時のテクノロジーの産物をフルに活用し、電動で動く機械仕掛けのキネティック彫刻だ。
いくつかの展覧会でこの写真展示や、動かした時の映像に触れる機会はあったが、この会場では実物を観られるのみならず、実際に動き、そこに照明が当てられたときに光がどのように移り変わっていくかを体験できる。
30分毎に2分間だけ、という限定つきであるが、この2分間のためにも来る価値がある。
大写しにされる映像作品もキラキラと変転する感じは楽しめるが、そこでその対象そのものの動きを、反射も含めて体感できるのは、また新たな感覚の刺激を得られる。
止まっている時のこの立体は、なんともアンバランスで奇妙なオブジェなのだが、それが回転した時、それぞれの役割が実にみごとに陰影と動き(光にも立体そのものにも)を生みだしていくのを味わえる。
これはぜひ一度、おススメの空間だ。
Ⅳ章 ベルリン―ロンドン 1928-1937:舞台美術、広告デザイン、写真、映画
バウハウスを去ってからのナジは、ベルリンで舞台美術や広告のデザインなどを手掛けながらヨーロッパ各地を旅していたが、やがてナチスの台頭によりロンドンへ逃れ、そこで新たにデザイン、映画、そしてカメラを使用した写真など、新たな表現の分野へと手を広げていく。
ここではやはり写真がよい。

一方、イギリスに渡ってからの写真は、街をゆく人々やショウウィンドウ、イートン校の学生、市場の一角にいる猫、など、これまでには比較的抑制されていた抒情性を強く出したものが多くなっているのもよい。
舞台美術作品では、残っているのは写真の記録だけながら、『蝶々夫人』のものが、鳥居、灯篭、太鼓橋、藤棚といった日本を象徴する記号を散りばめながら、そうした小物たちが照明によって生み出す影を効果的に使用しているのが分かる。
また『来るべき世界』のものは、(ナジの案は不採用だったようだが)実際に造られたコルダのもの(写真)が展示されおり、彼らの交流を思わせるとともに、もうひとりの、もうひとつの光と空気を追求したアーティストの作品を比較して観られるのが嬉しい。
映像作品も充実している。
『マルセイユの港町』、『ベルリンの静物』、『大都会のジプシー』、『新建築とロンドンの動物園』、『ロブスターの一生』、『建築家会議』の6篇を上映してくれている。
ちょっとすべてを観る気力はなかったのだが(会場が寒くて…)、『ベルリンの静物』では、路面電車や自動車、人々が暮らす居住区へのパッサージュ(といっていいのか…?)など近代化されるベルリンの風景が、『新建築とロンドンの動物園』では、現在でも画期的な構造を持っているように思われるロンドンの動物園の象やゴリラ、ペンギンの施設が、やはりレールや建築物の直線と曲線の構成、そこにたわむれる光と影のムーヴメントを追う視線で捉えられていることが見えてくる。

茶目っけといえば、広告デザインとしての≪紳士用上着の形をした宣伝用リーフレット≫だろう。
タイトルのごとく背広の形をしたパンフレットの前身ごろを開くと、中にセールスポイントが記載されたリーフレットが現われる。赤と黒で統一された内部のデザインも洗練されていて、楽しさと高級感の両方を上手く伝えている。新しく、魅力的なPRツールだ!
バウハウスを去って後、アメリカに渡るまでの間についてはあまりその活動を知らなかったので、個人的にはとても新鮮で興味深い1章。
Ⅴ章 シカゴ 1937-1946 アメリカに渡ったモダンアートの思想
先に渡米していたグロピウスに推薦され、シカゴで「ニュー・バウハウス」の校長に就任するも、その高い理念が経営陣と合わず(このあたり、“ビジネス”としてのアメリカらしい対立かな、と;笑)、一年で閉校した後、改めて自ら「スクール・オブ・デザイン」として再建、白血病でその命が尽きるまで、「学校ではなく実験場」としてのスクールで多くのデザイナーやアーティストの育成と、自身の造形のさらなる創造と拡大を続けた晩年が観られる。
平面における線と面の構成はより軽やかに自由に大らかになり、写真作品はよりやわらかさをまとい、本格的に始めたカラー写真では夜のネオンサインやヘッドライトの光の動きを活き活きと捉えている。

ここに、当館が所蔵している≪スペース・モデュレータ≫が同タイトルのいくつかの作品と並んだ時、なんとも“奇妙な”と思っていたこの作品が異なる厚みと表象を以って立ち現われる。
一貫してメカニカルなテクノロジーによる動きと光とを追い、それらを“空間(スペース)”に捉えて構成し続け、科学と芸術との融合に幸せな実験を貫いたモホリ=ナジの、あらゆるジャンルを越境した軌跡の最後には、カラー写真で残した家族や身近な人々のスナップ写真が展示され、もうひとつの私的で詩的な彼の作品に触れられる。
説明もなく、動きもない、ただスライドが自動的に差し替わる「カシャッ」という音だけが規則的に繰り返されるこのコーナーを以ってのエンディングは、ゆえにこそ彼の終わりのない「アート」の実験と、バウハウス叢書をはじめとする多くの教育書に結実した芸術理論の意義を強く印象づけるように感じられた。
現代ではあたり前となっている電動オブジェや動画、写真や広告といった作品たちは、にも関わらずいまなお画期的で、構成美にうっとりし、実験の楽しさにあふれてワクワクさせられる。その魅力とエネルギーは健在だ。
新たなテクノロジーの時代を迎えつつある今、こうした“実験ごころ”の在り方こそ、これからの芸術表現にとっての示唆に富んだなによりの指南書となるのかもしれない。
晩年の油彩のどことなく不器用な感じの愛らしさも含め、やっぱり惹かれるアーティスト、ナジ。
並べることで満足している『バウハウス叢書』や『ザ・ニュー・ビジョン』、“ちゃんと読めよ”というアテンションかな…(汗)。
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