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家族の肖像から見出す“聖性”のひみつ ―『モーリス・ドニ展』

『モーリス・ドニ展 -いのちの輝き、子どものいる風景-』 (損保ジャパン東郷青児美術館)

Maurice_Denisチラシ
 のんびり構えていたらすでに会期終了、『セガンティーニ』に変わっていた…!
 回想として(汗)。

 大好きなナビ派の中でも、殊に愛してやまないドニ。
 鮮やかなピンクや藤色、エメラルドグリーンの風景、リズミカルな縞や花柄の衣装、ぺったりとした平面性と装飾性、そして画面から発される象徴性と聖性、独特の美しさで魅了してくれる、抱きしめて持って帰りたくなる作品。
 その名を聞いただけで嬉しくなってくる画家。
 数年前に府中市美術館で開催された回顧展も、時を忘れて楽しんだ記憶もまだ新しい。

 今回は彼の代表的な象徴性の強い作品ではなく、もっと近しい、家族の肖像を主軸に集めた展覧会、観逃すことなどありえない。
 久しぶりに(どうも街としてはあまり好きではないためついつい足が遠のきがちな)新宿 東郷青児美術館へ。
 この美術館自体は広すぎず狭すぎず、好きなのだが。(常設のゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンにも逢えるし)

 画家の姿の想い出も記憶に残る孫娘のクレール・ドニ氏の所蔵する作品と、パリ郊外のドニ美術館(悔しいことにここはまだ未訪問…泣)から、もうひとつのドニの世界が集まっている。

 大家族を築くまでの若き日の作品を集めた序章を合わせて5部構成の流れは、天性の画家としての自覚を持つ彼の才とともに、彼のプライベートなシーンをテーマに構成されている。
 ふたりの妻と、わずか4カ月で早世したジャン=ポールを含め、9人の子供に恵まれたドニの、家族愛にあふれる空間は、温かい喜びと美しい色彩に満ちている。

 序章:若き日のモーリス・ドニ
 入ってすぐのこの空間だけで嬉しくなる。
 印象派風な両親の肖像から、点描を効果的に使用し装飾的な自画像、荒いスケッチ風の神話画、平面性と聖性に満ちた人物画など、ドニの画風のさまざまな特徴をよく捉えた作品たちが並ぶ。

 特に≪樹下の自画像≫は、極端に横長の画面に描かれた丸顔の自画像と、背景の枝が点描で形づくる曲線との配置が絶妙で、とても印象的な作品。
 また、≪黒いショールの母親≫の黒を表す色彩のトーンと、彼女を装飾するように嵌めこまれたは屋外の風景と膝元にいる子供の赤のバランスにうっとり。
 ≪ロザリオ≫では、10月7日のロザリオの聖母の記念日に行われるミサの様子が、蝋燭の光に浮かぶ人々との温かく敬虔な空気の中に浮かび上がる。タイトルのロザリオはさりげなく礼拝する人々の手に描かれているだけなのに、とても象徴的だ。
 そして≪雌鶏と少女≫の、庭の自然の中で、雌鶏を見てほほ笑む少女が、みごとな点描装飾の世界にまとめられた秀作。

 この部屋の終わりから第1章が始まる。

 第1章「くつろぎの中で
 ひとり目の妻マルトと生まれたての子供を描いた母子像と、長男ジャン=ポールの姿が切なく愛おしい。

 ≪薄紫のガウンを着た母親≫は、母乳を与える母と小さな乳児の姿が、しっかりした輪郭で安定した形態の中に収まっている。光の関係か、やや灰ががかって見えるガウンの薄紫に包まれたマルトの表情は、母としての誇りとやさしさに満ちている。
 ≪はだかん坊≫は、ジャン=ポールの全身を描いた一枚だが、軽やかに彼を背後から抱きあげているマルトの姿が、柔らかい茶色の縞模様の衣服と栗色の髪の流れをつくり、とても美しい。ややうつむいて目を伏せている女性の表情は、ドニの女神像そのものだ。母子愛を聖性の象徴と波打つ装飾にまとめ上げたお気に入りの一枚。

 その横にはドニによく似た輪郭が、新生児らしくややひしゃげた蛙のような(しかし可愛らしい)≪ジャン=ポール、3カ月≫が、満ち足りた表情でこちらの頬を緩ませる。
 しかし、この直後に命を失った長男ジャン=ポール。その哀しみと悼みが描かれた≪シャン=ポールの死≫は、窓辺に置かれた小さなベッドと両端が灯された三本の蝋燭に、言葉にならないドニの想いが溢れ出ていて、涙が出そうになる。

 その後は、次々と生まれた子供たちと妻との情景を、自宅で、旅行先で描いた作品がこれでもか、と並べられている。

 イタリア旅行では、フラ・アンジェリコ風やフィリッポ・リッピ風の画風を取り入れたり、写真を元に後から風景や人物の構図を変えてみたり、昼と夜の光の効果の違いを色合いで試してみたり、子供部屋の風景をフレスコ画か童話の挿絵のようなタッチで描いたり、あるいは同じ人物を同画面の中に多重に構成する、古代の壁画のような手法で、象徴的な作品にしてみたり、と、章タイトル通りとてもくつろいだインナーな世界を描きながら、ドニの絵画表現に対する思考錯誤と追求が観て取れる作品群になっている。

Denis_1 中でも秀逸は≪子供の身づくろい≫だ。
 マルトが朝の光の中で子供の世話をしている風景。服と肌が白い子供を抱くマルトの青い縞模様の衣装と、背景を囲む赤いソファの色彩の対比が非常に美しい一枚。
 右側から差し込む光の透明感と、大ぶりなそでの母の衣装がつくる影の中に位置する赤ん坊の無邪気な安心感がにじみ出ていて、思わず「ホゥ」とため息が出る。
 しっかりした輪郭と構図、大胆な筆致でありながら繊細な情感を描き出したとてもドニらしい作品。

 ≪初めての授乳(すみれ色の部屋)≫は、誕生した子供(五女マドレーヌ)にベッドで授乳する母マルトと、それを覗きこんでいる姉(三女アンヌ=マリー)が、落ち着いた紫のトーンに彩られた部屋に描かれている。
 右上部にある窓から入る光は、侍女の姿を朧にし、母と新生児も、薄いエメラルドグリーンのリネンに溶け込んでいる。
 ここで目を引くのは、部屋の奥にしつらえられた天蓋つきのベビーベッドの三角形と、その手前にまとめられたベッドカバーの色彩である。補色ともいえる紫と緑の配色がさらにオレンジ~赤によってまとめ上げられている。
 幸せな誕生の喜びとその風景ながら、画家の目はベッドを頭の方から描くという大胆な構図と、色彩の配置にとても緻密な計算をほどこしている。

 そしてマルトの正装姿を描いた完成度の高い一枚もここにある。
 ≪バラを持つマルト≫は、これまた紫とピンクに染められたあでやかな作品。濃い紫のイヴニングドレスをまとうマルトが、花柄のソファに座り、その奥に鏡を配置して、彼女の背中まで描いた入魂の肖像画だ。
 背景のバラの花束の側には、覗きこんでいる子供(天使)が描きこまれ、祝福の雰囲気に満ちている。解説によると満開のバラは妊娠を暗示し、この後、マルトはジャン=ポールを失った後、初めての男子ドミニクを出産したらしい。
 彼女が首につけている繊細な細工のネックレスは、子供たちの乳歯を繋げたドニからの贈り物だそうで、なんと実物が同時に展示されている。(一瞬引いたものの)その小さな成長の証は、可愛らしく金の中に収まっており、さすが、あまり違和感なくジュエリーとなっていた(笑)。彼の家族への愛情をさらに強く感じる一品として楽しめる。

 マルトを失ったドニと子供たちを新たに支えた二人目の妻エリザベツを描いた≪夕暮れの三人組≫は、非常に象徴的な作品だ。
 西洋の伝統的な女神造形としての「三美神」の形を踏襲しつつ、女として、母として、そしてアーティスト(音楽家)としてのエリザベツの三様が一画面に描かれる。
 ピンクに染まる空気の中、緑の空と紫の海が溶け込もうとしている夕暮れの海岸を見渡すバルコニーの風景は、穏やかに暮れていく日々と、プライベートな時間を表し、同時に人間の生活における創造の要素を余すところなく彼女に託すことで、ひとつの聖性を絵説きするシンボルにもなっている。

 第2章「子どもの生活」
 タイトル通り、8人の子供の姿が、さまざまなシーン、多彩な描法で創作されて競う。

 とにかく活き活きとした子供たちの表情やしぐさがとても愛らしく、ノノ(ノエル)、ベルナール(ベルナディット)、ネネ(アンヌ=マリー)、マロン(マドレーヌ)、ドメ(ジャン=ドミニク)、アコ(ジャン=フランソワ)、ジャンティ(ジャン=バティスト)、ラ・ポール(ポーリーヌ)と彼が愛称で呼んだ子供たちの誰を描いているのかを比較しながら観ていけるのも楽しい。
 それらは決して特殊な場面やポーズではなく、まるでスナップショットのように自由で、さりげない風景でありながら、構図と配色は計算されており、ドニがいかに家族のくつろいだ時間を愛し、それを創作の源泉にしていたか、そして瞬間を捉える目と、「作品」として創り上げる才をそこに注いでいたかを改めて感じさせる。

 思わずこちらも一緒になって首を傾けたくなる≪リンゴを持って頭を傾けるベルナディット≫、黒い水玉の衣装と、プクプクとした顔と手、赤ちゃんらしいのに、どこか大人びたしぐさで父を見つめる彼女の表情は、対象への愛に満ちていてなんだか温かくなってくる。

 やや俯瞰から振り返って見上げる四女を描いた≪絵を描くマドレーヌ≫は、くるんくるんした髪の毛と、広いおでこ、赤いリボンで、ちょっとおしゃまな感じがよく出ていて可愛らしくキュートな一枚。まさにカメラでパチリと撮った瞬間のようなアングルがよい。
 
Denis_2 ≪バルコニーの子供たち、ヴェネツィアにて≫は、写真を元に、窓から見える風景も構成をし直したとのことだが、べネツィアの海とサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の見えるバルコニーにいる3姉妹が微笑ましい作品。
 ようやく立つことができるようになったマドレーヌをやさしく見つめる姉たちは、お揃いのピンクの模様の入った黒いドレスにピンクのエプロンをまとい、赤いリボンと赤い靴を身につけている。この色彩が華やかに輝き、背景になる海の青(緑)とコントラストをなしつつ、バルコニーの手すりと遠景の教会に配されたややくすんだサーモンピンクと呼応、さらにはマドレーヌのまとう白い衣装に光が反射してできる青がより輝きを持ち、美しいリズムを与えている。
 
Denis_3 ≪ボクシング≫は、長男と二男の、子供らしい遊びの風景が、ドニお得意の平面的な色彩の中に描かれる。地平線を高くとり、緑の芝に浮かび上がる兄ドメの茶色のセーターと、弟アコの青いガウン。わずかに上部に残る背景は、やや筆跡の見えるタッチで、木々が描かれ、ちょっとゴーギャンのポンタヴェン時代を彷彿とさせる(まあ影響を受けてはいるのだが)。
 やさしい兄と、ややおずおずとながら向かっていこうとしている弟の雰囲気がその横顔からよくうかがえる。

 これと同じ服装でアコが描かれた≪プリウレの台所≫は、色味を抑えた一枚。台所の入口に佇むアコが小さく描かれ、灰色の上部と、鉄色の扉や柱、椅子の少ない色で統一されている。建物の構造が堅固でかっちりとした構図の中、台所の奥の闇を背景に立つアコは、あまりに小さく、淋しげだ。
 同じくアコを描いたものでは、≪マリンボーダーの服を着たアコ≫が来ている。これまた抑えた色彩の中、紺と白のボーダーシャツに白い半ズボンをはき、夏らしい恰好をしながらも、しっかりと手を組み、壁にもたれて上目遣いの彼の姿は、どこか引っ込み思案で臆しているように見える。
 体が弱く、この時病気だった母にもあまり構ってもらえなかったというアコの性格を画家はとてもよく捉えている。
 この二枚とてもお気に入りだ。

 第3章「家族の肖像」
 年代順に彼と妻の父母、子供、そして子供たちの代父母やパトロンの家族など、周囲の大切な人々を描いた作品を観られる。 それらは、複数の人物を配し、描法も色彩も画面構成も、考えられ、練られたもので、さらには敬虔なキリスト信者であった彼らしく、それらを神話や聖書のシーンになぞらえていたり、画面そのものを変形させたりして、聖性とファミリーへの愛が、彼の中でひとつに合わさっている、そして造形と色彩にドニの作品の数々の特徴を概観できる豪華なコーナーとなっている。

 最初の妻マルトの両親と長女ノエルを描いた≪ムーリエ夫妻の肖像≫と、自身の両親とやはりノエルを描いた≪ドニ夫妻の肖像≫の対比は、非常に興味深い。
 前者は室内の風景が比較的抑えめの色彩と丁寧な古典的な描法で描かれ、椅子に座る夫婦が堅実で落ち着いた印象をもたらすのに対し、後者はピンクと緑の補色のコントラストがまぶしい点描が混ざり合ったポスト印象派のような屋外の光の中で、ブランコに乗るノエルを見守る夫婦が動きのある中に華やかな印象を与える。
 不思議なことにやっぱりどちらも“ドニ”で、対象の特質がその描法までに広げて表現されている。

Denis_4 これは他の群像でも言えることで、印象派風の3時の風景(≪ロクテュディーのおやつ≫)、古典歴史画風に象徴的な裸婦像と現代風な着衣の女性をのどかな屋外に配した≪ドミニクのはじめの一歩≫、さらには聖書の一画面をなぞらえて、イタリアの聖画のようなタッチで描かれたふたり目の妻エリザベツを迎えた記念の≪シランシオ荘への訪問≫、象徴主義的な人物配置と世界観で描かれる自身を含めたドニ家の家族全員を描いた≪塔近くのたそがれ(2)≫、教会の天井画のように、円形の画面に、船乗りに擬した3人の息子たちと、彼らの行く末を守り、導くように聖母子像が描かれる≪光の船≫、自宅の食堂を飾っていたというまさに宗教壁画のごとく、同時にブルターニュの風俗をも取り入れて、妻と女の子たちを豊かな食物と花で飾った装飾画≪ブルターニュの供物(食前の祈り)≫など、観ごたえ満点。

Denis_5 そしてチラシにもなっている≪家族の肖像≫もここにある。
 明るい食卓にマルタと子供たちを配した一枚は、マルタの着る濃紺のドレスが画面を引き締め、白くふくよかな彼女の体を包んでいる。両脇にいる少女の明るい茶色の髪の毛と青い目、青い水玉のドレスが濃紺の印象を柔らかく拡散させて、マルタを中心に斜めの直角三角形の中に収まり、構図・色彩共に目に心地よく、彼女たちのやさしい表情が、幸せいっぱいの空気となって観る者を包み込む。
 背景のオレンジのクロスも、両脇のアール・ヌーヴォー的な装飾の入った淡いグリーンの壁紙もい色彩としてはやかましくなりそうなのに、ちっとも邪魔にならない。
 あどけない小さい子供たちの表情に対し、しっかりした顔立ちになり、母の面影をもつ少女、母としての自信と愛に毅然としたマルタが温かい家族像に気品をもたらし、やわらかいのに、しっかりとした重みを持つ完成された作品。

 また、依頼を受けて描いた(と思われる)ブルジョア一家の大型肖像画≪カブフェレ家のこどもたち≫、≪キャステラ家の肖像≫は、その装飾性と鮮やかな色彩の対比、そして“こってり”といえるかもしれない彼の描きこみを堪能できるものたちだ。 いずれも自分の家族のスナップ写真のような対象の捉え方同様、その表情やふるまいに、愛らしさ、お茶目、自信、誇り、やさしさ、おしゃま、わんぱく、敬虔といったそれぞれの特質が、みごとな構図の中に現われてくる。
 
 第4章「象徴としての子供」
 3章からその印象が強くなる彼の象徴性が、より前面に出た作品でしめられる最終章。
 彼のこの聖性をまとう象徴的な作品が格別好きなため、3章辺りからワクワクしていた気持ちが一気に飛翔する。

 白眉は思うままにデザインし、装飾画をほどこしたプリウレ礼拝堂のステンドグラスのための下絵≪聖母マリアの接吻≫。
 百合の花の間にすっくりと立つマリアが、腕の中で伸びあがるように直立する幼子の頬に口づける。金色に輝く白い衣装に包まれたマリアの母としての慈愛と聖性に満ちた美しい表情と、縦に伸びていく形態の勢いに、(信者ではない私でも)うっとりと泣きたいような敬虔な気持ちになる。
 これらに飾られた礼拝堂、マティスのヴァンス、コルビュジェのロンシャン、コクトーのヴィルフランシュと並び、いつかは行きたい候補に加わった…(笑)。

Denis_6 そのほか、マルタをモデルにした≪川から救いだされたモーセ≫の美しい裸婦群像、ノエルをマリアに、ミサの補佐をする少年ふたりをドミニクで描き、ピンクとエメラルドグリーンが“ドニの”聖なる世界を体現する≪プリウレの窓辺の受胎告知≫、輝く夕焼けの湾を背景に、ポエムのような≪聖母賛歌≫、大胆な構図とブドウのアーチの装飾性、その葉の緑と建物のレンガや衣装の赤の対比が印象的な≪幼子イエスへの賛辞(1)≫、シャンゼリゼ劇場に飾られ、現在は残っていないパネルのうちの「ブレスト」(音楽用語)の下絵でマドレーヌがモデルだという≪浜辺を走る子供≫、と近代には前時代的とも思えたであろうテーマが、彼の手になると、活き活きと違和感なくそこに在る。

 そして小品ながら、とても好きだったのが、≪プリウレの前の聖体拝領者たち≫。
 まるでオルセーが所蔵する≪木々の中の行列≫の行きつく先ではないかと思わせる、聖体拝領の少女たちが、教に集まったシーンを描いた一枚。白いヴェールの後ろ姿で描かれる彼女らのゆらめきが、堅固な教会の重量感とよい対照となり、建築物の直線を左手前で途中で切られた木々のラインが反復するみごとな構図で、持って帰りたいな、と(笑)。

 こうして世俗と信仰も、現実と神話も、彼の中では境界線をもたない。同時に過去(古典)と現代(近代)の隔たりも存在せず、すべては等価で同時で、ひとつの“世界”として作品に顕れる。

 たびたび触れてきたことだが、ドニの配色はとても奇抜で、非現実的で、特にピンク・赤とエメラルドグリーンを対比させることが多く、ハレーションを起こしそうなくらいに強烈なコントラストなはずなのに、なぜかそこから生みだされるハーモニーは、甘くなりすぎもせず、破綻もせず、所与のものとして収まって輝きだす。そして時には過剰ともいえる装飾性も、リズムを生み、詩情を生み、調べを生み、眼を楽しませてくれる。それはまた、現実と非現実を超越して、俗性と聖性を融合させる。
 
 気づいた時にはたまらなく惹かれ、大好きだったドニ。そういえば自宅に実際に飾っている複製や絵ハガキも、実は彼の作品が最も多いか。
 
 装飾性と象徴性あふれる作品を、画家という彼の人生の中で、不可分であると同時にもうひとつの世界でもある「家族/子供」のアプローチから感じて、感覚的な「すき」にひとつの思考を促された、貴重な展覧会だった。
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テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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