ナンセンス世界に現前する人間心理のリアル ―『フラミンゴの村』―
『フラミンゴの村』 澤西 祐典 (集英社)
グレーとピンクの、渋くも可愛らしさを持った装丁。
すばる文学賞受賞作。
不思議な、奇妙な、それでいてリアルな物語。
19世紀末ベルギーの片田舎の小さな農村に起こったとんでもない事件。
ここに住むアダン氏の妻が、ある夜寝室に入ってきたと思ったら、次の瞬間にフラミンゴになっていた……!
驚愕と絶望に苦悩しながらも、その赤い羽根と長い脚と首を持つフラミンゴの優雅な姿に見惚れつつ、アダン氏の秘密を持つつらい生活が始まる。
しかしやがてその苦しみは、村全体を巻き込む異常事態であることが判明した時、村人たちは共同体を守るため、この不条理な現実を受け止め、団結して対処することを選択する。
他の村や都市に対してとにかくこの事実を隠蔽すること、そして家族としてフラミンゴを保護すること、いまだ近代化の波も及んでいない僻村で、司祭の「神の試練」という言葉にすがり、日々をなんとか過ごしていくが、物理的に閉鎖されえない以上、さまざまな露見の危機が訪れる。
原因も分からず、解決の見通しも立たず、追い詰めらていく日々に、やがて悲劇的な犯罪が起こり、さらに重ねて保護していたフラミンゴに衝撃の事象が発覚した時、彼らの団結力は綻びを生じる。
村人の考え方も各々で変化が生まれ、連携にも齟齬が生じて、村を二分する対立がもたらした顛末は―――。
何もかもがナンセンスな事実の前に放り出されたままに終局を迎える物語に、しばし呆然とする…。
どうして突然にフラミンゴになったのか、なぜフラミンゴなのか、その事象の不条理さのみならず、このフラミンゴの行く末も不可思議で、プツリと閉ざされてしまったような感じで、「え…?」と…。
単なるファンタジーとして受け止めるには、しかし、村人たちの苦悩、その思考と行動が、あまりに生々しく、切実な現実感を持っているため、このナンセンスが微妙に“非現実”から“リアル”に浸食しているのだ。
村という閉ざされた共同体での互いの監視や“はずれること”への恐怖、そして村という個体としての存続を賭けた隣村や都市部に対する団結、そうした集団としての意識のあり方と同時に、個々の感情や思惑がアダン氏の視点を中心に、赤裸々に描かれていく。
そこには、生/性、愛/哀、欲/慾、恐/凶、という、人間が生きていくためのあらゆる心理状況が、旺盛に現われており、滑稽で哀しく、怖ろしくて愛おしい存在として浮かび上がってくる。
その姿は、“日々を生きること”に集約された人生を送る人々の、愚かであるがゆえにしたたかであり、素朴な愛情ゆえに残酷であり、必死であるがゆえに滑稽なのだ。
そんな彼らの苦悩をよそに、優雅に佇み、美しく赤い羽根を広げるフラミンゴの描写は、実はその見た目とは裏腹に逞しく、雑駁であることを仄めかしつつ、村人たち“人間”との絶妙な対比と相似をなしている。
こんな異常事態になった村で、子供たち(村を挙げての事件となるきっかけは負っていながら)の状況が中途半端にフェードアウトしてしまう点、アダン氏をはじめとした彼らの心理説明がやや饒舌すぎる点がちょっと惜しいかな。
だが、ここまで突き放した不条理とさまざまな未解決感で最後まで引っ張り切っていながら、究極の“シンプルな人間”像を刻印して閉じた世界は、そのモヤモヤとともに、なんと表現してよいか分からない納得をも強引に引き出してしまった…。
乱暴なのか、繊細なのか、とらえどころがないのに、どっしりとしている。
不思議で、奇妙で、それでいてリアルな物語。
グレーとピンクの、渋くも可愛らしさを持った装丁。
すばる文学賞受賞作。
不思議な、奇妙な、それでいてリアルな物語。
19世紀末ベルギーの片田舎の小さな農村に起こったとんでもない事件。
ここに住むアダン氏の妻が、ある夜寝室に入ってきたと思ったら、次の瞬間にフラミンゴになっていた……!
驚愕と絶望に苦悩しながらも、その赤い羽根と長い脚と首を持つフラミンゴの優雅な姿に見惚れつつ、アダン氏の秘密を持つつらい生活が始まる。
しかしやがてその苦しみは、村全体を巻き込む異常事態であることが判明した時、村人たちは共同体を守るため、この不条理な現実を受け止め、団結して対処することを選択する。
他の村や都市に対してとにかくこの事実を隠蔽すること、そして家族としてフラミンゴを保護すること、いまだ近代化の波も及んでいない僻村で、司祭の「神の試練」という言葉にすがり、日々をなんとか過ごしていくが、物理的に閉鎖されえない以上、さまざまな露見の危機が訪れる。
原因も分からず、解決の見通しも立たず、追い詰めらていく日々に、やがて悲劇的な犯罪が起こり、さらに重ねて保護していたフラミンゴに衝撃の事象が発覚した時、彼らの団結力は綻びを生じる。
村人の考え方も各々で変化が生まれ、連携にも齟齬が生じて、村を二分する対立がもたらした顛末は―――。
何もかもがナンセンスな事実の前に放り出されたままに終局を迎える物語に、しばし呆然とする…。
どうして突然にフラミンゴになったのか、なぜフラミンゴなのか、その事象の不条理さのみならず、このフラミンゴの行く末も不可思議で、プツリと閉ざされてしまったような感じで、「え…?」と…。
単なるファンタジーとして受け止めるには、しかし、村人たちの苦悩、その思考と行動が、あまりに生々しく、切実な現実感を持っているため、このナンセンスが微妙に“非現実”から“リアル”に浸食しているのだ。
村という閉ざされた共同体での互いの監視や“はずれること”への恐怖、そして村という個体としての存続を賭けた隣村や都市部に対する団結、そうした集団としての意識のあり方と同時に、個々の感情や思惑がアダン氏の視点を中心に、赤裸々に描かれていく。
そこには、生/性、愛/哀、欲/慾、恐/凶、という、人間が生きていくためのあらゆる心理状況が、旺盛に現われており、滑稽で哀しく、怖ろしくて愛おしい存在として浮かび上がってくる。
その姿は、“日々を生きること”に集約された人生を送る人々の、愚かであるがゆえにしたたかであり、素朴な愛情ゆえに残酷であり、必死であるがゆえに滑稽なのだ。
そんな彼らの苦悩をよそに、優雅に佇み、美しく赤い羽根を広げるフラミンゴの描写は、実はその見た目とは裏腹に逞しく、雑駁であることを仄めかしつつ、村人たち“人間”との絶妙な対比と相似をなしている。
こんな異常事態になった村で、子供たち(村を挙げての事件となるきっかけは負っていながら)の状況が中途半端にフェードアウトしてしまう点、アダン氏をはじめとした彼らの心理説明がやや饒舌すぎる点がちょっと惜しいかな。
だが、ここまで突き放した不条理とさまざまな未解決感で最後まで引っ張り切っていながら、究極の“シンプルな人間”像を刻印して閉じた世界は、そのモヤモヤとともに、なんと表現してよいか分からない納得をも強引に引き出してしまった…。
乱暴なのか、繊細なのか、とらえどころがないのに、どっしりとしている。
不思議で、奇妙で、それでいてリアルな物語。
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コメントの投稿
こんにちは
いきなりフラミンゴ…
引き込まれる内容ですね。
引き込まれる内容ですね。
Re: こんにちは
広告の科学★吉田さま
コメントをありがとうございました。返信が遅くなり申し訳ありません。。。
確かになぜフラミンゴなのか、最後まで??です。
引き込まれましたら(笑)、ぜひご見解をお聞かせいただけたら!
コメントをありがとうございました。返信が遅くなり申し訳ありません。。。
確かになぜフラミンゴなのか、最後まで??です。
引き込まれましたら(笑)、ぜひご見解をお聞かせいただけたら!
毒持ち作家と挫折作家でした
「フラミンゴの村」の作者、澤西さんが、芥川龍之介を
敬愛しているそうです。
澤西さんの作品は、芥川龍之介の作品とは似て非なる
モノですが・・・。
面白いし、あっけにとられる結末まで用意されてますね。
すばる文学賞つながりで、36回受賞作、新庄耕さんの作品
「狭小住宅」読んでみました。
こちらも初の小説とは思えない、面白い作品でした。
新庄さんって初の小説だそうで、なかなかネットでも
情報が少ないんですが、
http://www.birthday-energy.co.jp
ってサイトでまとめてありますよ。
ご本人は執筆を本業にしたいそうですが、いやはや、
趣味にした方が良さそうだとか・・・。
あ、澤西さんも索引から探したた、まとめてありました~。
なにごとも、楽しんでできればそれどよし!
って気もしますが・・・。
敬愛しているそうです。
澤西さんの作品は、芥川龍之介の作品とは似て非なる
モノですが・・・。
面白いし、あっけにとられる結末まで用意されてますね。
すばる文学賞つながりで、36回受賞作、新庄耕さんの作品
「狭小住宅」読んでみました。
こちらも初の小説とは思えない、面白い作品でした。
新庄さんって初の小説だそうで、なかなかネットでも
情報が少ないんですが、
http://www.birthday-energy.co.jp
ってサイトでまとめてありますよ。
ご本人は執筆を本業にしたいそうですが、いやはや、
趣味にした方が良さそうだとか・・・。
あ、澤西さんも索引から探したた、まとめてありました~。
なにごとも、楽しんでできればそれどよし!
って気もしますが・・・。
Re: 毒持ち作家と挫折作家でした
俊恭さま
すっかり更新が滞っているブログにご訪問、コメントをありがとうございます。
少しは進めないとな~と思いながら、つい日々の雑事に追われ、
読むだけでとどまっています。
これを機に少しずつ加えていけたら(汗)。
氏については、その後まったく追いかけておらず、
貴重な情報をいただきました。
芥川を、ね…。
童話のような、それでいて(それゆえに)リアルな
人間の性が浮き彫りになるあたりがなんとなく…でしょうかね。
印象としては、翻訳もののような空気を持った作品だったので、
ひまひとつつながりきらないのですが。
新庄耕氏の作品は知りませんでした。
今度探してみます。
> なにごとも、楽しんでできればそれどよし!
読む側もそれをモットーに(笑)
またポチポチアップを目指します!
すっかり更新が滞っているブログにご訪問、コメントをありがとうございます。
少しは進めないとな~と思いながら、つい日々の雑事に追われ、
読むだけでとどまっています。
これを機に少しずつ加えていけたら(汗)。
氏については、その後まったく追いかけておらず、
貴重な情報をいただきました。
芥川を、ね…。
童話のような、それでいて(それゆえに)リアルな
人間の性が浮き彫りになるあたりがなんとなく…でしょうかね。
印象としては、翻訳もののような空気を持った作品だったので、
ひまひとつつながりきらないのですが。
新庄耕氏の作品は知りませんでした。
今度探してみます。
> なにごとも、楽しんでできればそれどよし!
読む側もそれをモットーに(笑)
またポチポチアップを目指します!